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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「東京“戦後ゼロ年」に視る日本人の「生命力」


NHKに「映像の世紀」という実写フィルムの番組がある。昔の記録映像に解説を施した番組だが、考えさせられることが多い。今回は「東京 戦後ゼロ年」ということで、終戦直後から約一年間の「東京」の状況変化を当時の貴重な記録映像を繋ぎ合わせて制作している。そこには紛れもなく“日本人”がいるのだが、いまの日本人とは、どこか違っている。なにが、どう違っているのか、なかなか言葉で表すのは難しいが、わたしがいちばん感じたのは“強い生命力”を持っている……という点だ。もちろん“終戦の年”と、その翌年だから、東京は壊滅状態にある。路上に寝ている人たちが大勢いる。闇市が生れ、そこで食べ物や日用品を求める人たちが物を奪い合っている。その光景は“悲惨な敗戦国”を感じさせるもので、決して恵まれた人々ではない。それなのに、そこにいる人たちには“活き活きとした生命力”が感じられる。どういう環境であっても「頑張って生き延びなければ…」という想いが溢れているのだ。世界大戦の結果であるから、だれが悪いというのでもない。ただ“飢えている人々”は「天皇が、われわれと同じ人間というなら、食料を分け与えろ」というデモを皇居前広場で行う。現代人の眼から見れば、天皇を“神格視したこと”自体が間違っているので「敗戦した後になって責めるのは酷だな」と思うのだが、彼らの表情は真剣そのものだ。そういう中で「闇市」に殺到するわけだが、結局、人間というのは、生きることに必死となった時、ものすごい生命力にあふれるものだということを、この映像は教えてくれる。逆な言い方をすると、現代人に“強い生命力”がそれほど感じられないのは、もしかすると、あの「生き延びなければ…」という想いが、乏しいからなのかもしれない。だれもが同じ“焼野原の中”では最終的に“生命力の強い者”が勝つ。それが“生物界の掟”なのだ。みんな焼野原に投げ出されてしまったら、弱肉強食で“闇市”であろうが、何であろうが、生きるための闘争を始める。そうして、生き延びた人たちのお陰で、われわれは今、こうして“安住の住処”を得て、戦後の逞しさを失い、フラフラとした生命力の中で生きていく……。
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