9月, 2021年

すべてに「飢餓状態」味わえば“倖せ”になれる

2021-09-07

今年4月に大阪を出発、6月にアメリカに到着し、8月24日に帰国した“太平洋無寄港往復横断”成功の辛坊治郎氏が、自らの番組で帰国後の生活を語った。この中で私がもっとも注目したのは帰国後の食生活が激変したということ。「何を食っても旨い」と表現したのだが、その表現は“長い闘病生活”から自宅に戻ったアントニオ猪木氏と全く同一だった。格闘家は総じて、怪我にはめっぽう強いが病気には弱い。辛坊氏も猪木氏も、どちらも容貌が激変した点でも共通しているが、ふたりとも“ぎりぎりのところ”から日常へと舞い戻ったことは間違いがない。その二人が共通して「何を食っても旨い」というのだ。私は自分が十代の頃に経験した「断食」生活を想い出した。断食から日常に戻って、いちばん感激したのは食事の美味しいことだった。正式な断食の場合、最初は重湯から戻るのだが、その重湯の中の“梅干し一個”が宝物のように旨いのだ。人間は「死と隣り合わせ」の生活をすると、すべてが新鮮に見えてくる。辛坊氏は「シャワーを出しっぱなしで頭を洗う」ことが例えようもないほど「ありがたかった」と述べている。よく、われわれは「感謝」という言葉を使うが、黙っていてもそういう気持ちがわいてくるのは「死と隣り合わせ」から脱した時なのだ。そして辛坊氏は仙人のように「幸せになる方法はね、すべてにおいて飢餓状態になることですよ」と断言している。飢餓状態で一人ぼっちで太平洋のど真ん中で“必死に生きている”状態を経験すれば、誰でも、そこから解放されたとき、平凡な日常に戻った時、平凡だが豊かな日常に戻った時、おのずと“倖せ”と“感謝”を感じることが出来るというのだ。私は前にアフガンの荒野で、水汲みの子供たちが「ぼくたちには何もないけど、神様が居るから元気だよ」という笑顔を見せていたことを記述したことがある。何もない荒野で「神様は輝き」だから、くじけずに生きていけるのだ。何もない荒野では「神様」を信じる以外、どうすれば良いのか。日本でも戦中・戦後の混乱期に、さまざまな新興宗教が乱立して隆盛を極めた。不安の中で必死で生きている人たちには「神様」が必要なのだ。

 

芸能活動より「老舗旅館」で活躍の飯島直子氏

2021-09-06

何が“その人”にとって幸福であるかは、本人にしかわからない。はためから観れば「老舗旅館の仲居さん」は必ずしも“幸せな姿”には見えないかもしれないが、実は“人気の仲居さん”の方が、本人としては“女優・タレント業”よりも「生きがいを感じられる仕事」である場合があるかもしれない。飯島直子氏と言えば“癒し系タレント”として一時期は引っ張りだこだった。それが一時期「ホストに貢いでいる」と週刊誌などで報道されたせいもあって、TV出演などが減っていった。その後、実業家と再婚したが、その夫側の女性関係などが報じられ“危機説”等も囁かれた。ところが、どうやら危機は乗り越えたようで、一部マスコミによると、現在は夫の実家である「老舗旅館」で、普通の仲居さんたちと同じように働いている姿が見掛けられるという。まるで“ほんとうの仲居さん”のように働いていて、彼女目当ての常連さんまで出て来ているのだという。元々が“癒し系”の雰囲気を持ち、そういう意味では「顔」を知られていても気にすることなく、普通の仲居さんたちに混じって働いている、というのが興味深い。不動産業などを営む夫の実家らしいが、別に“旅館が傾いている”というのでもなく、夫の事業が“窮地に立っている”というのでもなく、純粋に“そこ”に生きがいを見出しているのだとしたら、素晴らしいことではないだろうか。考えてみれば、映画やドラマで“ちょい役”で出て、それなりの報酬を得たとしても、それを「仕事」として満足できるかは微妙なのだ。そういう点では、朝から晩まで“働き詰め”になる仲居の仕事は、その報酬は少なかったとしても、客の反応を間近で視られる。実際、その結果として「仲居としての彼女のファン」が出て来ているとすれば、その方に“生きがい”を感じたとしておかしなことではない。しかも、それが夫の実家であれば、やがては自分が“そこの女将”になっていく可能性もある。仲居の仕事を肌で体得していることは“慕われる女将”の条件でもある。そのあとで「眞子さまの結婚」に対する“ネット反応”の数々を読んだ。さまざまな考え方があるが、この飯島直子氏の“幸せの見つけ方”は、そういう方たちに読んでもらいたいと思った。

“ヤマトダマシイ”の血が…大坂なおみの「荒行」

2021-09-05

全米オープンの女子シングルス3回戦。またしても大坂なおみ選手は感情をコントロールできず、ラケットを投げつけ、ボールを客席に打ち込むという“暴挙”に出た。「日本人」として聖火台に火を灯した大坂なおみ氏だが、これまで庇っていた人たちも、ここに至って“庇いきれなく”なっている。私が、この選手の素質と能力に注目したのは、まだ日本のマスコミも一般の方達も注目していない時期だった。それから2年ほどたって、実力と幸運とが重なり、日本のマスコミが彼女を“大々的に取り上げる”ようになる。その結果、彼女にはスポンサーがつき、多くのファンを得られるようになった。私は“自分の見立て”が間違っていなかったことを確信した。ところが、若くして人気&名誉&お金を得てしまった人にありがちな“メンタルの脆さ”が、このころから露呈しだすようになる。私は「危険だな」と思った。案の定、彼女は“勝てなく”なっていく。それと同時にインタビューを嫌うようになっていく。アスリートは、本来、肉体だけが“強ければ”良いのではない。精神面も強くて、本来の「勝者」なのだ。ところが、近年は「精神面は別だ」と主張する人々が居る。アスリートは「勝負の場でだけ強ければ良い」という考え方の人々だ。大坂選手は、自分が「うつ」になっていることを表明した。或る意味で「だから、多少のことは大目に見てほしい」と言いたげであった。すると多くの人たちは彼女を擁護しだした。けれども、そういう人たちは、芸能人が同じ症状に至った時、彼らを擁護するだろうか。政治家が「うつ」を表明した時、彼らを擁護するだろうか。スポットライトを浴びる職業では特に、メンタルの部分も強くなければ「一流」を保てない。政治家の場合には、精神的にどうあろうと徹底的に攻撃するような人たちが、一部アスリートの場合や、一部芸能人の場合だけには“妙に”甘いのだ。大坂選手は自分に向けられる「人種的偏見もある」かのようなことも述べているが、私が思うに、むしろ彼女は“つたない日本語”を話したことで、大きな人気を得た部分もある。ハーフの容貌であるのに「日本人」を公称したことで優遇されてきた部分もある。日本の企業スポンサーだって得られたのだ。特に白人、黒人に関わらず、日本における「ハーフの人々」は、どちらかというとマイナス面よりプラスの方が大きいと思われる。いや、何国人とか、ハーフとか関係なく、マナーとして“やってはいけないこと”は批判されて当然なのだ。彼女が「日本人」なら、アスリートとして「武士道」を学び直した方が良い。

勝利は「岸田氏」善戦するのは「高市氏」か⁉

2021-09-04

四面楚歌となった菅総理が「総裁選」の舞台から降り、急に、あちこちから「手」があがっている。岸田文雄氏、野田聖子氏、高市早苗氏、河野太郎氏、石破茂氏……などだ。もっとも石破氏は「出る」とも「出ない」とも言っておらず煮え切らない。昔の政治家なら、そういうタイプでも良かったのだが、現代のように“即決”が求められる時代では、それでは世界と“戦える”リーダーにはなれない。安倍氏の“海外での評価”が比較的高かったのは、イエス、ノーがハッキリしていたからだ。そういう点からいえば、野田氏や、高市氏は、女性ながらハッキリとしていて判りやすい。同じく稲田明美氏も“政治信条”はハッキリしていて判りやすい。今のところ名前が挙がっていないが、もしかしたら立候補するかもしれない。もっとも、稲田氏も含め、石破氏、野田氏ともに、立候補の条件である“20名の推薦人”を集められるかは微妙である。野田氏が早々に“立候補”を表明したのは“推薦人”を確保できているからかもしれない。それにしても、野田氏の立候補に対してはネット民の反応が驚くほど速い。確かに野田氏の夫は“反社”の過去を裁判所で指摘されている。しかも、私が驚くのは“障害児の子”を抱えていることだ。そのどちらもが「首相」の重責を担うにはあまりにも過酷だ。そういう中で自ら「日本を率いたい」という胆力は素晴らしい。一国のトップは頭脳も優秀でなければならないが、それ以上に度胸を必要とする。自らの決断一つで「国民」の“今後”が定まっていくのだ。もう一つ必要なのが「運」である。前にも述べたが、日本でバブル期の首相だったのは中曾根康弘氏である。この人は「運」に恵まれる手相をしていた。会社でもそうだが、トップの運が良ければ、その時代は安泰なのだ。そういう意味では、ここに名前を出した人たちに中曽根氏のような“強運者”は見当たらないが、“総裁選の今”「運」が良いのは岸田文雄氏である。もうひとり高市早苗氏である。石破氏や河野氏は「運」が良い時期ではない。国民からの人気は、この二人がいちばんなのだが、国民投票ではないので……。

「科学」は“自然災害”には「白旗」を掲げる⁉

2021-09-03

アメリカは広い。だから一方で“山火事”が続いていて観光地にまで延焼し、2万人超に対して“避難指示”が出ていて、他方では200万世帯が停電となり、冷房効かず40度の灼熱地獄にさらされ、さらに一方では記録的な豪雨で地下室にまで浸水して救出困難となり、猛烈な洪水で外出不可能の状態が続く。いつも思うのは、アメリカの場合、同じ国内でありながら、まるで“別世界”のような光景が珍しくない、ということだ。しかも、森林火災やハリケーンは毎年のことなのに、それらに対しての“科学的対策”というものが見当たらない。本来であれば、未来志向の強いアメリカ人たちなのだから、最先端科学を誇るアメリカ人たちなのだから、そういう部分で“何とか”出来てよさそうな気がするのだが、そういう点においては常に「白旗」を掲げていて、ニューヨーク市長など「我々は歴史的気象事象に必死で耐えている」と“精神論”で応じているのだ。結局、人類は「生きている地球」の“ヤドカリ人間”でしかない。地球が怒り出したなら、それを少しでもなだめて、振り払われないよう必死にしがみついている生物なのだ。そして最近の「地球」は、あきらかに“怒り”出している。もしかしたら我々は古代人のように「自然界を崇めること」を止めてしまったせいではないだろうか。「生きている地球」の“ヤドカリ人間”である我々は、やはり古代人と同じように「大自然を崇めて」生きていかなければならないのではないだろうか。そういう点からいうと、日本はまだ「神社」によって「太陽神」を崇めているので、多少“怒り”の矛先が少ない。もしかすると「地球」が“生ける大地”として人類に解放されたのは、今から5000年ほど前から2000年ほど前にかけて、多くの古代人が世界各地で「自然界を崇めていた」からかもしれない。神々に対して、多くの“捧げもの”を差し出し、それゆえに「自然災害は起こさないでください」と祈り続けていたからではないのか。いま地球人たちは、この「生きている地球」から抜け出して、逃避先を“見つけ出そう”とするプロジェクトが盛んだ。もしかすると、そのこと自体が“怒る原因”“荒れる原因”であるのかもしれない。われわれは、もっと“つつましく”「地球」の“ヤドカリ人間”として“捧げもの”をしていれば良いのだ⁉

天王星が定めた⁉「眞子さま&桑子氏」の結婚

2021-09-02

偶然が重なっただけなのだが、皇室の眞子さまと、NHKの桑子真帆氏が、同じ日「結婚」を明らかにした。眞子さまの方は実質的な日取りは未確定で、一応「年内入籍」を目指す形のようだ。私は、眞子さまに関しては早くから「結婚する」と観ていた。昨年6月にも《当初から相性が大変に良く、“同じ考え方”を持つ二人で、反対されても結婚する可能性が高い(中略)占星学的な観点からは、結婚の時期として2021年6月、或いは2022年3月が良いのですが、もしかしたら何かを失う形での結婚も…》と記している。一方の桑子氏に関しては昨年4月に《お二人の命式は共に月支蔵干「印綬」で、それ以外は「七殺」が強い干支構成で似た者同士。桑子アナはNHK的“品行方正型”ではありません。(中略)ホロスコープでも二人の相性は大変に良いので交際そのものは継続する可能性が強いのですが、どちらも結婚には消極的か⁉》と記している。その二組が「結婚」した。この二組の“妻側”には共通項がある。眞子さまの場合は出生時の金星位置に対して、トランジットの天王星が120度の位置に来ているし、桑子氏の場合は出生時の金星位置に対して、トランジットの天王星が0度で“一体化”している。つまり出生時の金星位置に対して、現在の天王星が強力なアスペクトを形成した時「結婚」が成就する。別に天王星とは限っていないが、トランジットの惑星が「金星」にエールを送ることで“結婚が成立する”ケースは多い。桑子氏の場合はトランジットの土星が出生時の太陽に120度位置に来ていて、これも「結婚」を促すシグナルとなる。それにしても、眞子さまと小室圭氏とは、私が当初から予想した通り「海外で暮らす」可能性が濃厚であり、その方が良い。眞子さまには、出生時点において太陽と月とが180度の位置関係にある。“昼間の太陽”と“夜間の月”とが、向かい合っているのだ。太陽は“公的生活”、月は“私的生活”。この惑星配置は誰でも“仕事”を取るか、“家庭”を取るか、二者択一を迫られる。そういう人生なのだ。眞子さまの場合なら、国民を取るか、小室氏を取るか、の二者択一となる。そうして、彼女は小室氏を択んだ。この場合、占星学的に、どちらを選べば良いか…という答えはない。どちらを択んでも、どちらかは失うからだ。この配置の誰もが、苦渋の中で、どちらかの「手」を放して生きていく。

 

私の20年前の「アフガン戦争」予言記事がある

2021-09-01

今朝の新聞紙上で、2001年10月のアフガン空爆で始まったアメリカによる「アフガン戦争」は、2021年8月30日アメリカ軍の「撤収完了」という名目で、事実上の“アメリカ敗北”で終わった…と報道されている。米国史上最長の“勝利なき20年間の戦争”だった。実は、20年前の9月末頃、私はある報道機関から取材を受けた。Brain New Networkという報道機関(?)だが、そこで当時、緊迫した情勢にあったアメリカ(=ブッシュ大統領)とタリバン(=ビン・ラディン氏)との今後について、総体的に占ってほしいというインタビュー取材であった。そこで私が述べたことは、その後の10月1日になって報道されたらしい。その後に、その機関から内容の“コピー記事”が送られてきていた。私は今朝の新聞を読み、自分が「アフガン戦争」をどう占っていたのか、完全に忘れているので、そのコピー記事を探し出してみた。もっとも、インタビュー時点ではまだ戦争は始まっていない。《結論的にいうと、アメリカはラディン氏(タリバン)と戦って、完全な勝利というか、完全な目的の遂行は非常に難しいと出ています。(中略)結果として、いちばん可能性が強いのは、解かりやすく言うと「痛み分け」で、何となく終結するという方向に動いていくでしょう。(中略)ただラディン氏は安泰かというと、そうでもないようです。相当逃げ回る感じが示されていて、部下というか仲間にも多くの犠牲が出ることでしょう。それでいながら「痛み分け」になる可能性が強いと出ています。(中略)考えられることとして、戦争が長期化すると、アメリカにとって非常に不利になる、と出ています。もし、戦いを完結させたいのであれば短期間で行うことです。長期化すると、アメリカの戦意というか闘いに対する情熱が失われてしまうからです。そのため最終的に「痛み分け」になるのです。最初の本格的な攻撃時期ですが、可能性として強いのは10月2日~10月4日と出ていて、10月上旬までに闘いを開始しないと、なかなか決断しにくくなるでしょう。(中略)日本の自衛隊ですが、一応、行動は起こすけれども本格的な戦場・戦闘に参加することはないと出ています。したがって、自衛隊が戦場の中に入っていって多数の犠牲者が出る、というのはないです》といったふうな感じで記されています。いま思うと、とても懐かしい記事ですが、私の「長期的な判断」という点でも、とても興味深い記録と言えるでしょう。

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