私が唯一自信をもって歌える楽曲がある。さだまさしの「無縁坂」という曲だ。自分の母親と、あまりにも重なる歌で、もう40年も前に母親は亡くなったが、穏やかな日々は少なく、最期も不慮の事故で苦しみながら逝ってしまった。私は母親に何もしてあげられなかったが、亡くなった年にコートを買ってあげた。それが唯一の親孝行になった。亡くなって後、実姉に、それを喜んで伝えていたらしいことを聴いた。けれども、私は母親を事故から救ってあげられなかったし、もう少し早く気付いたなら助かったのに…という思いは今もって消えない。だが何故か私は、母親が亡くなってすぐ住居を変え「運命鑑定」の看板を掲げて“占い”の仕事を本格的に開始したのである。亡くなって二週間ほど後、私は追われるように住居を変えた。何故か、変えなければいけないのだ、という気持ちになった。想い出を引き摺るのが嫌だったからだろうか。元々、その家に対して不吉なものを感じていたからだろうか。今となっては、よく解からないのだが、ともかく私は早々に住居を変え「運命鑑定」の看板を掲げた。何故か“占いの仕事を始めなければいけない”という義務感のようなものが背中を押していた。それまで、私は“占い師になりたい”とは思っていたが、実際に看板を掲げて実占するところまではいっていなかった。第一、会社勤めでもあったので、両立が難しかった。それなのに、追い立てられるように実占を始めたのだ。バス車内や雑誌や新聞など矢継ぎ早に広告を出した。もっとも会社勤めも継続したので、夜間のみ自宅内での鑑定であった。今のように携帯電話のある時代ではない。昼間に電話が掛かってきても、誰も出ない。だから、客数は限られていた。それなのに、何番目かの客に母親とまったく同姓同名の客が来た。しかも、その客からは、その後、十年近く鑑定依頼を受け続けた。もちろん、母親と同姓同名であることなど伝えていない。奇妙な偶然としか言いようがないのだが、その女性は出逢った当初から「先生は札幌に出られれば、もっと有名になれるのに…」と口癖のように言っていた。別に、その女性に言われたからではないが、今、札幌に居る。昨年、妻の母親が亡くなった。いつも、私に占ってもらうのを楽しんでいた。だが、最期の入院の前だけは、自分の身体ことは占わせなかった。「母の日」が、またやって来る。
わたしはどちらかというと「災難」に関しては、あまり心配したためしがない。というか「よけいな心配をしても始まらない」という気持ちが強い。どんな人間でも“不慮の災難”は避けようがない。 続きを読む
引っ越しによって家具調度品だけでなく“家電類”もいろいろと変わった。特にエアコンは引っ越しでもしなければ北国の家庭ではあまり変えない。なぜ「北国」と念を押すのかといえば、通常、北海 続きを読む
わたしが今日あるのは、あの社長のおかげだといって良い。「あの社長」の名前を出しても、たぶん誰も知らない。大体がわたし自身“下の方の名”は忘れてしまった。小さな町工場の“しがない社長 続きを読む
引っ越しをすることで、予期せぬモノにいろいろとお目に掛かる。昔のホロスコープや手型の記録もそうだが、今度は28年前に私自身が“自分の引っ越し”に関して、風水家相的な観点から記録発表 続きを読む
今回の引っ越しにおいて、わたしは“優雅であること”にこだわった。だから、多くのヨーロッパ家具を求め、それも17世紀~18世紀に使用されていたような雰囲気のモノを求めた。その結果、そ 続きを読む
昨日、わたしの“大いなる誤り”で210㎝の書棚を新居に搬入できなかったことを書いたが、その結果として行わなければならなくなった作業がある。ムダな書籍や資料などは極力“捨てる”ための 続きを読む
昨日は「すばらしい部屋」に泊った話を書いたので、今日は「風水・方位はあなどれない」という話を書きたい。個人的な話になるが、わたしは数日前に“お引越し”をした。同じ札幌市内ではあるが 続きを読む
皆さんは一流ホテルの「スィートルーム」に“泊った”ことはあるだろうか。ほとんどの方がないに違いない。何しろ本当は“超お高い”のだ。実は訳あって先日その「スィートルーム」に泊らせても 続きを読む
どんな人でも“老いる”のは嫌だ。けれども、老いは確実に近づいてくる。そういう時、人は何をするのか。その一つの答えのようなものとして俳優・仲代達矢氏は舞台に立っている。もう90歳とい 続きを読む
最近「日本は遅れている」という記事を眼にすることが多い。なんでも“早ければ良い”というものでもないが、やはり「遅れている」よりは「先んじている」方が何となく気持ちが良い。そういう点 続きを読む