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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「リオのカーニバル」で「平和」に戻れる⁉


2年ぶりに世界最大の祭典である「リオのカーニバル」がブラジルで開幕した。もはや誰もマスクなどしていない。多少の不安はあっても、本来の祭典の姿に戻ったといっていい。ただ、これまでは世界中から観光客がやって来ていたが、今年の場合はどうなるか「予測がつかない」らしい。その点、若干、盛り上がりには欠けるかもしれないが、元々“踊り歩くこと”が好きな人たちなのだから、開催できた喜びは大きいようだ。日本でも、今年は各地で「お祭り」を再開しようとする動きが出始めている。世界各地とも共通して「お祭り」というのは“歌・踊り・演奏・出し物”などが主体となる。それは元々が「神様に奉納するお祀り行事」から始まっている。その地域を守護する神様への“捧げもの”としての歌や踊りや出し物なのだ。だから、なるべく“派手で華やかなもの”が好まれる。何しろ神様に“御見せする”のだから、解かりやすく華やいだものが良い。日本神話では、天照大神が“岩戸”に隠れた時、その手前で派手な歌や踊りを行って“引き摺り出す作戦”を取って見事に成功した⁉ 昔から古今東西の神様とも“華やかな祭りごと”は大好きなのだ。私自身は、幼い頃「お祭り」が嫌いだった。なぜなら無理やり“祭り”の袢纏を着せられて、祭りの列に加わるよう強制させられた。多くの人々が、好奇心の眼で“祭りの列”を見守っている。その中を子供たちがぞろぞろと歩く。私の記憶が確かなら“ほんのり化粧”もさせられた。すべてが嫌で嫌でしようがなかった。何が“メデタイ”のか、何が“ワッショイ”なのか解からなかった。そういう記憶があるから、大人になって「お祭り」は元々が「お祀り」であって「神様を悦ばすための行為」と知って妙に納得した。それなら、最初からそういう風に教えてくれれば、もっとちゃんと声を出し踊りながら歩いたのだ。私は“祭り”に加わったら貰える景品目当てのように思えて、それも嫌だったのだ。さて、世界各地で「お祭り」が再開されることで、果たして神様は悦んでくれるだろうか。悦んでくれて“感染症”や“戦争”を無くしてくれるだろうか。もしも、そういう願いを叶えてくれるなら、世界中の人々が自ら率先して“新たなる祭り”を開催していくことだろう。
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