7月7日「七夕の日」に、“秀吉自筆の手紙”であることが正式に認められたのは、彼の“側室”で、当時は病気療養中であった茶々への気配りと励ましを綴った手紙であった。ちなみに“側室”というのは、今でいう“愛人”のことだが、戦国時代の武将は“複数の側室を持つこと”が戦略的にも必要なことであったので、現代の“愛人”とは多少ニュアンスが異なる。ちなみに秀吉の場合には十数名が、家康の場合には二十数名が“重要な側室”であったとされている。その十数名の一人が茶々なのだが、血統的には同じ戦国武将・浅井長政の娘である。自分の娘が側室に入っていることで、相手からも狙われず、自分からも攻撃できない、ヨーロッパの宮廷でも各国間で似たような婚姻制度であった。秀吉の場合、正室(本妻)は世継ぎを産まなかった。そこで「秀頼」を産んだ側室の茶々は、太閤・秀吉にとっても、歴史上にとっても、重要な存在となっていく。手紙の中で「さすがは秀頼の母」という表現で、秀吉は茶々を称えている。それにしても、この手紙に見る秀吉の自筆はなかなかに豪放闊達である。比較的筆まめだったらしく、現在まで60点に及ぶ手紙が発見されている。その内、茶々への手紙が5点である。自らを「太閤」と記し、彼女のことは本名「茶々」として記している。それにしても戦国時代というのは或る意味冷酷で、茶々の父親は信長の命を受け、秀吉が処刑している。母親は再婚し、残された娘であった茶々が側室として入った。そして「秀頼」を産み、秀吉の死後は“秀頼の母”として権勢をふるった。けれども、最期は自害して果てている。けれども、秀吉の手紙からは、どちらかといえばひ弱だったらしい茶々の側室時代を垣間見ることが出来る。戦国武将の娘、戦国武将の妻、そして戦国武将の母親を演じ分けて生きていた。
最近の日本では「本音でモノを言ってはいけない風潮」が強い。それが「令和」を生きていく上では必須のようだ。ほとんどの人たちが“その風潮”に習って暮らしている。だから、たまに、そうでは 続きを読む
今から150年ほど前にオランダに生れた女性が、やがてフランスにおいて“踊り子”として脚光を浴び、さらに“ドイツの女スパイH21号”として戦争時に活躍する。やがて密告によって逮捕され 続きを読む
昨日も、北海道の函館に近い福島町で52歳の男性が襲われた。早朝、新聞配達の男性が戸建ての玄関に新聞を差し入れようとした瞬間を襲われたらしい。たまたま遠くから目撃した男性が居たのだが 続きを読む
わたし自身も人のことを言える年齢ではないのだが、ふと彼女のプロフィールに記された年齢に眼が止まった。もう松居一代氏も“68歳”だったのだ。現在、アメリカで単身で暮らしているらしい。 続きを読む
今年の株主総会が何事もなく終わって、一応のケリが付いたかのように視えていたフジテレビ(厳密にはフジ・メディア・ホールディングス株式会社)だが、どうも、そうでもないらしい。その後も、 続きを読む
ここ数日、日本国内でも各地で猛暑や酷暑の状態が続いているが、その少し前から欧州においても熱波の状態は続いていて、各地でじわじわと“その被害”が拡大している。欧州の12都市、すなわち 続きを読む
昨日、外国人に関する“人権”や“難民”問題を扱っている主要な8団体が結束して、選挙に関連して拡散している「外国人が優遇されている」という噂は「まったく根拠のないデマであり誤解である 続きを読む
現在、ダライ・ラマ率いるチベット仏教はインド北西部ダラムサラに拠点を置いている。最近、ベトナムに派遣されていた高層の1人が現地警察と中国諜報員とによって拘束され、その3日後に“不可 続きを読む
人にはときどき“自分の人生”において、妙に“交錯する相手”というものがある。どうしても“避けては通れない相手”とでも言おうか。今から19年前、早稲田実業高校のエースだった斎藤佑樹投 続きを読む
30年ぶりに再ブレークしつつある女優……という形で取り上げられていたのが安達祐実氏だ。確かに30年前、子供ながら「同情するなら金をくれ‼」というセリフは俄然ブームを巻き起こし「流行 続きを読む