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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「和服」の若者も「警備員」も間違っていない


最近は思わぬところからネット上で議論が沸騰することが多い。特に中国では自分の主義主張を明確にする若者が増えてきたせいか、ネット上の議論が発熱化しているケースが多い。日本や韓国の場合は、どちらかというと「意見を戦わす場」というより「一方向に傾きやすい場」としてネット上が利用されてしまう。したがって、どうしても少数意見は“飲み込まれがち”である。世界から“言葉の壁”が徐々に失われていく中で、それぞれの“考え方が解かる”という点では、中国における“真っ向勝負”というか“意見のぶつかり合い”の方が個人的には興味深い。その中国で和服を着た中国人女性が、雲南省のペー族自治州の生態回廊へ若者何人かでやって来た。それを視た現地の警備員が「ここで写真を撮ってはいけない」と注意を与えた。別に写真撮影をしていけない場所ではないのだが、正確には「和服を着ての写真はNGだ」という意味での拒否であったようだ。それに対して若者たちは「なぜ、いけないのか」「服装は自由ではないか」と警備員に詰め寄った。すると、その場に居合わせた現地人たちの多くが「あんたの祖先を侵略した奴らの服を着るなら出ていけ」と口々に罵倒しだした。この一部始終を撮影した動画が流され、その結果、双方に対してネット上で賛否が戦わされることになったようだ。まず、和服を着た若者擁護ともいえる人達は《生活を政治化しても誰も得しない》《極端な民族主義こそ中国から出ていくべきだ》《和服を着たら親日と批判され、日本車に乗ったら文化交流と大喜び》《狭量な民族主義には劣等感と哀しさしか感じない》といった感じで、“新しい中国をアピールしたい意識”に傾きがちである。それに対して現地擁護派は《女性に服装の自由はあるが、抗日の場所ではそれをボイコットする自由もある》《侵略戦争で苦難を受けた場所に行くなら、現地の人の感情も尊重されるべき》と“先祖の痛みを共有すべき”と考える人たちも少なくない。ここで日本人として考えるのは、和服は確かに“日本人の服”だが今や日常の暮しの中で着ている人は稀であり、ことさら「日本」を意図して着ていたのか疑問に思われる。それに「和服」を禁止してしまうと、せっかくの“侵略戦争アピールの場”を日本人は知ることが出来ず、結局、日本の若者は「そんなもの知らないよ」で過ぎていく。本来「原爆ドーム」などでもそうだが、“侵略した側”が視た方が価値のある記念物は多い。「日本」に“過去を知らしめたい”のであれば、むしろ和服を着た人物にこそ、しっかり見せておく方が効果的なのではないだろうか。
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