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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「季節の変貌」が判然としていることの意味


人はときどき“同じような毎日”に対して何となくのユウウツを感じることもあれば、あまりの“日々の速さ”にたじろいでしまうこともある。最近、日が暮れるのが早く、そして日の開けるのが遅い。文字通り「立冬」で冬の始まりだからなのか、朝になる直前の“冷え込み”も強くなった。こうして、四季というものを強く感じられるのは、われわれが“人間が暮らしやすい地域”で暮らしているからだ。世界には“四季を感じられない地域”というものがたくさんある。いや、もしかしたら、われわれとは違う方法で“四季を感じている”のかもしれないが、やっぱり四季は“こういう形での変化”が判りやすくて好い。赤道直下の地域や北極圏や南極圏では“四季”だけでなく、毎日の“時刻による変化”さえも感じられないようなところがある。常に、同じような明るさ暗さ、同じような暑さや寒さ、そういうものに慣れてしまえば、それなりに時間を感じ、季節を感じることができるのだろうか。わたしは“暑さ”にも“寒さ”にも弱いので、極端に暑い地域とか、極端に寒い地域とかで暮らすのは多分できない。時刻的な変化に関しては、それほど判然とした違いが無くても、わたしの場合には“生きていけそうな”気がする。私の起き出す時間帯や寝てしまう時間帯は一般の人たちとは少々違う。だから、時間の感覚に関しては、多少、変わった地域に行ったとしても、大丈夫そうな気がするのだ。たとえば暗くなくても昼間でも寝ることができるし、明るくなくても、ひとりだけ起きていくことができる。飲食生活に関しては、日本食でなければならない、ということもない。洋食でも中華でも特殊な料理でも、大体は食べられるし、お腹さえ壊さなければ“そういう食事”が続いても大丈夫だと思う。ただ「日本」の札幌の街に暮らして、この「四季の判然とした街」に暮らして「四季の乏しい街」で暮らす人々に比べて“その変化を愉しむ”ということは可能なのだなと改めて思う。東南アジアなどからやって来る外国人は「日本の四季」を羨ましく思うだろうか。それとも「寒いのは苦手だ」とだけ感じるだろうか。日本の中でも“判然とした四季”を街の中を歩いていて感じられる地域はそれほど多いとは言えない。そういう場所で、ゆったりとした時間の中で晩年を過ごせるというのは、何と恵まれたことだろう。
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