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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「春なのに」と歌い「全面運休ですか」と呟く


今日は2月7日だ。2月4日の「立春」から三日経っている。よく「暦の上では立春ですが…」というような表現が使われる。まるで“24節気”はおかしいとでも言いたげな表現だ。とんでもない。24節気の区分は正しい。「立春」は春の始まりなのだ。われわれはどうしても“季節”を「気温」で感じようとする性質を持っている。けれども、季節は「気温で区切るものだ」などと誰も言っていない。勝手にそう思い込んでいるだけだ。季節は、気温によって区切られた表記ではなく「光の多寡」によって区切られたものなのだ。したがって“光の量”で観てみれば、ちゃんと2月4日の「立春」には“春の開始に相応しい光の量”がもたらされており、しかも、その量は毎年“一定”である。5月5日の「立夏」には“夏の開始に相応しい光の量”となり、8月7日の「立秋」には“秋の開始に相応しい光の量”となり、11月7日の「立冬」には“冬の開始に相応しい光の量”へと変わっていく。つまり、すこぶる科学的で均等な“四季の区分法”なのである。これを、もしも「気温」によって区切ろうとしたなら、毎年“季節が変動していく”ことになってしまう。その年によって「春」が短くなるとか「夏」が長くなるとかするだろう。それでは暮らしの指標にならない。ということで、24節気としては「春なのに」実際の“暮し”の上では、まだまだ春の実感がない。札幌では何十年ぶりといった感じの“大雪”となっている。北海道の中では、札幌は比較的雪の少ない地域かもしれないが、それでも真冬には「雪まつり」が出来るほどの雪が降る。私の育った室蘭など、北国とは思えないほど雪が少なかった。一つには強風によって、降り積もるはずの雪が空中を舞い、札幌のように“しんしんと降り積もる光景”が見られないのだ。やはり、雪は音もなくしんしんと降り積もって、窓から見える景色を“真っ白に変える”のが好い。まるで夜中に“魔法使い”がやって来たように、街全体を白く“包み隠してしまう”のが好い。もっとも、現実にはそうなるとJRなど札幌発着が終日「全面運休」となる。雪に埋もれるのは、図柄としてはなかなかにロマンチックで良いのだが、除雪が追い付かなくて街全体の機能がストップしてしまう。神様はそうやって、われわれに「ロマンチックが好いかい、それとも活気ある街並みが好いかい」と訊ねるのだ。
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