世界各地で“大規模な集会”が禁じられつつあるが、それに反発する人々がもっとも多いのが「イスラム教国」である。イスラム教国の中ではイランにもっとも感染者が多いが、当然のことながら現在モスクでの礼拝は禁止されている。ところが、これに反発する人々がモスクの中庭に敷物を敷いて、その中で肩寄せ合って礼拝し始めている。その人数は急速に多くなりつつある。このような傾向はイランだけではなく、サウジアラビアでも、シリアでも、エジプトのカイロでも行われ始めている。文字通り“片寄せ合って座る形”で、戸外になるだけでモスクの中での礼拝と、そう大きな違いはない。いくら通気は良いと言っても、ピタリと肩を寄せ合って座るのだ。そこまでしてもモスクに集いたいのか、われわれからすると不思議な気がしないでもないが、彼らにとっては「死」よりも「神」の方が重要だからである。イスラム教の場合、信仰心が強い者ほど、聖廟とモスクとを重要視する。自宅で礼拝することも出来ないことはないが、元々“集うこと”そのものにも意義を見出している彼らは、いくら「濃厚接触はいけない」と言っても“モスクに住まう神”との別離の方が辛いらしい。実際、既にSNS上には「礼拝できないくらいなら感染して殉教した方がましだ」というような考えが散見されるようになっている。この分でいくと、遠からず、モスクの入り口は破られる。元々、彼らは“死後世界”を信じる気持ちが強い。正確に言えば“死後の生まれ変わり世界”というべきか。だから「死」は“死”だけで完結しなくて、その後の「生」が待っている“休憩所”的な感覚が強い。したがって「死」を怖がることがない。その後の「生」というのは「現世」における信仰心の強弱によって“産まれ方”が定まるという教えだ。さらに、自分はその“報い”を直接的に受けられなくても、自分の子孫が“報い”を受けるという考えも根強い。したがって、或る意味では自分が犠牲となることで、自分の関係者たちが“ご褒美を与えられる”的な発想が強いのだ。だから、悦んで殉教していく。自分も“次の世”で幸せ(報い)を得られるし、自分の子孫は“この世”で幸せ(報い)を得られる。神は「イスラムの民」を守ってくれるが、人類を守るわけではない。「死」をも恐れぬ信仰心こそ「神」への“忠誠の誓い”なのだ。まるで大戦末期の我が国の「神国日本」に近い発想が連鎖しようとしている。
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