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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「連絡を取り合わない」ことがニュースの時代


昨年9月に若手起業家と突然の結婚報告をして世間を驚かせたテレビ朝日の弘中綾子氏の発言がネットニュースとして掲載されていた。その発言とは番組の中で、結婚している夫との間で一日中「ほとんど連絡を取り合わない」と述べたことだ。昨年結婚して、今年5月には“妊娠した”ことも公表した弘中氏だが、夫とは互いに「ほとんど連絡を取り合うことはない」と言い切った。どちらも忙しく、一般のサラリーマンのように定刻で帰れる仕事ではない。とくに夫の方は上場を果たしたばかりの企業を率いる身で“家庭的な夫”にはなかなかなれない。そのせいもあってか「必ず帰って来るから」と気にしていない。お互いにマイペースなので、それを尊重し合おうということらしい。ただ、それだけの内容なのだが、これがネットニュースとして取り上げられた。昔であれば(例えば昭和50年代であれば)それは“普通のこと”であった。結婚している夫婦が、仕事時間中に連絡を取り合うとか、仕事時間中でなくても、昼休みや帰宅時などに特別な問題などなくても連絡を取り合うとか、昔は有り得なかった。少なくとも、連絡を取り合わないことが“普通”であった。なぜなら、文字通り弘中氏が言った如くに「必ず帰って来るから」だった。本来、自宅とはそういうものだし、そのための結婚だった。その結果、一緒に暮らしだした時点で、その後はひんぱんには連絡を取り合わなくなる、のが普通だった。そのような暮らし方を変えたのは「携帯電話」というものが出て来たからだった。それによって、家族とか、恋人同士とか、友人とかは、特別な用事がなくても、何となく連絡し合う、ということが普通になった。少なくとも、そういうカップルが圧倒的に多い。けれども、それは或る意味で“束縛し合うこと”につながり、ほんとうの意味での“信頼”や“自由”を奪っているような部分もある。たとえば、むかし人と待ち合わせをすると、なかなか相手がやって来ないと、どうしたのだろう、と心配になった。心配にはなったが、どこかで何か事情があって遅れているのだろう、と打ち消した。つまり相手を信頼して、自由を尊重していた。現代は“連絡を取り合う”ことによって、信頼や自由よりも“合理的なつながり”を重視する。だから、いったん、その“つながり”が途絶えた時、もはや信頼や自由のカケラもなくて、その関係性が崩れていってしまうような脆弱さが感じられる。携帯電話は“信頼”という絆を奪ったのだ。
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