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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


“優雅であること”&“実用的であること”の意味


今回の引っ越しにおいて、わたしは“優雅であること”にこだわった。だから、多くのヨーロッパ家具を求め、それも17世紀~18世紀に使用されていたような雰囲気のモノを求めた。その結果、それにふさわしい家具やインテリアは一カ所では調達できず、何カ所もの店から運ばれてくることになった。「大きすぎて搬入できない」という問題を除けば、一応、その目的は達したことになる。どうして200年~300年も前の欧州家具にこだわるのか。それは運命学的に、その形象は“暮らしを作る”からである。「風水」や「家相」も観相学の一種だが、その根底に流れているのは“形あるもの”から“形ないもの”を読み取っていくことにある。たとえば「運命」とか「性格」とか言っても、それに“形”はない。形はないのだが、それでいてだれもが“その実態”を知っている。つまり、これこれの運命とか、こういった性質とか、何となくの判断を個々が行っている。形のないものを“形ある風に”判断しているのだ。しかも、それは観相家ではなく、ふつうの人たちだ。どうしてそうするのかというと、なんとなく“そう感じる”からなのだ。たとえばヴァン・ゴッホという人物は“多数の自画像”を描いた画家である。誰もが一度くらいは“その自画像”を見たことがある。何となく気難しそうな印象を受ける。神経質そうな印象を受ける。研究心が強そうな印象を受ける。貧しそうな印象を受ける。孤独で交際が狭い印象を受ける……そういう風に、人は誰でも勝手に、その人を判断している。観相家ではないのに判断している。では、何から判断しているのかというと、その顔貌からなのだ。顔貌が持っている形象からなのだ。これらを、より突き詰めていくと、その人に“付属している”形象は、その人の日常を物語る……ということになる。「風水」とか「家相」とかいう占いは、要するに“その人に付属する暮らしの形象”から、その人の“実際の暮しと生き方”とを予見しようとするものだ。暮らしを離れての運命など有り得ないからだ。だから、その“逆”もあり得ることになる。つまり、家相を変え、そのインテリアを変え、生活様式を変えれば、その人の暮らしの延長である「運命」も変わっていく。そういう意味で家具やインテリアは重要なのだ。現代の家具調度品やインテリアは、総じて“実用性”を重んじて作られている。だから機能性は優れているのだが、見た目的には必ずしも優雅ではない。たとえば椅子やソファなどでも、確かに機能性は優れているし、コンパクトで使いやすい。だが、見た目的には必ずしも優雅とは言えない。それは現代人が“優雅な暮らしぶり”よりも“機能的で便利な暮らし”を選択しがちだからだ。大都会で暮らすには“機能的な方”を優先するのは、或る意味で当然なのだ。ただ、その結果として“四角張ったココロ”になっていないか。もっと“優美な曲線を持ったココロ”で暮らしたいと願うわたしはロココ調に近い家具インテリアを好むのだ。
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