今から6年前、冒険旅行に旅立ったはずのキャスター辛坊治郎氏は太平洋上でヨットが動かなくなって漂流し、自衛隊に救助されて終るという“お粗末な出来事”があった。私はニュース映像で何となく見ただけで、事件の詳細は知らなかった。ただ、どうして辛坊氏が冒険家のようなことをし出したのか、それが不思議だった。その理由が、今回の「太平洋横断」のニュースで納得した。もっとも、それを行ったのは辛坊氏ではない。全盲のセーラー岩本光弘氏(52歳)である。実は彼こそが6年前、辛坊氏のパートナーとして同じヨットで“太平洋横断”にチャレンジした人物だったのだ。私はそれを知らなかった。だから最初「セーラー岩本光弘」という名を見ても、それが辛坊氏のパートナーとして一緒に乗り込んでいた人物とは思わなかった。あの出来事の後、岩本氏の方は、すぐに“再チャレンジ”のための準備を密かに始めていたのだ。彼はもっと基礎体力を付けなければならないと反省し、トライアスロンを始めていたのである。もちろん彼は全盲である。高校生の頃に病気で視力を失った。けれども、元々チャレンジ意欲は旺盛な人物である。22歳の時にはアメリカ留学を決行している。その後、日本に戻って生活したが、現在はまたアメリカに住居を移している。今回の挑戦も、アメリカのサンディエゴを出発地に変え、パートナーもアメリカ人男性に変え、ヨットの舵と帆だけを操って無寄港1万4000キロを航行して福島県いわき市の粉浜港に到着した。全盲男性としては“世界初”の快挙である。2013年に失敗した時にも「絶対にあきらめない」と誓っていた。そのためトライアスロンにも取り組んだのだ。「夢を実現できた私は世界一の幸せ者だ」と胸を張る。彼はヨットの視力者傷害の大会にも“日本代表”として出場しているが、そんなことでは満足できなかったのだ。もちろん、全盲であるから、海を見ることは出来ない。感じるだけである。けれども健常者にも難しい“太平洋横断”を成功させたのだ。前回は屈辱の“救助された姿”だったが、今度は違う。きっと誇らしい気持ちでいっぱいだったことだろう。よく思い続ければ「夢は叶う」という人がいる。けれども、ただ黙っているだけで「夢」の方から飛び込んでくることはない。日頃の努力が必要なのだ。そして何よりも大切なのは一度や二度の失敗で挫けないことである。二度くらいまでは誰でもチャレンジするのだが、それ以上チャレンジする人はまことに少ない。何度でもチャレンジするという粘り強さが必要なのだ。一度や二度で諦めてしまうのは、真の情熱ではない。何度も、工夫や改善を試みながら努力し続けることこそ「夢を現実にする」一番の手立てなのだ。
台湾のシンガーソングライターのサンデー氏が15日「NK/T細胞リンパ腫」という病気によって34歳で亡くなったことが関係者によって伝えられた。彼女は2018年に自主製作で作詞・作曲し 続きを読む
料理研究家の園山真希絵氏と作詞作曲家のTAKESHI氏とが「結婚」を公表した。実際には昨年の3月15日に入籍していたという。そして同時に「別居婚」であることをも公表している。お二人 続きを読む
大相撲のロンドン公演が15日~19日まで「5日間」ロンドン市内の中心部に位置する「ロイヤル・アルバート・ホール」という劇場で行われる。ロンドン市内で「大相撲」が行われるのは、34年 続きを読む
何となくの“危うさ”を誰もが感じていた「日本株」の急上昇、待ってましたとばかりに急ブレーキをかけたのがアメリカから中国に向けた「追加関税100%」という爆弾の投下だ。もちろん中国も 続きを読む
役柄とはいえ、米倉涼子氏の人気を不動にしたドラマで凄腕医師であった彼女は「わたし失敗しないので…」で視聴者たちから、熱いエールを受けた。今、その名台詞が“我が身”に重くのしかかって 続きを読む
やはり運命学的な“事実”を軽んじることはできない、ということが判明した。わたしが既に記していたように「公明党」が「自民党」との連立を拒否した。高市早苗氏は、私が以前から言っているよ 続きを読む
昔からの格言に嘘はない。「老いては子に従え」という言葉などは、その代表的なものだ。人間、或る程度の年齢になってくると、徐々に体力も気力も能力も衰えて来る。そういう時に、人間が“出来 続きを読む
TV「徹子の部屋」のトーク番組に出演した元シブがき隊の布川敏和氏(60歳)が“奇妙な偶然”の話をした。彼が元妻つちやかおり氏と結婚したのは1991年で、それから20年以上もの間、表 続きを読む
自民党総裁に就任したばかりだが、早くも高市早苗氏が苦境に追い込まれている。その一つは連立を組んできた公明党が“離脱する”可能性が出て来たことだ。元々公明党というのは、良くも悪くも「 続きを読む
わたしは今年8月14日に《「ダウ」&「日経」共に“4万円台”シーソーゲーム⁉》というタイトルでコラムを書いた。その当時はアメリカ「ダウ」の株価に引っ張られる形で「日経平均」の株価も 続きを読む