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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


宗教で「酒」を禁じると「密造酒」で次々死ぬ


当然のことながら、どの宗教でも“人間を規制”する。それが“神仏に接近する”道だからだ。けれども、過剰な人間への規制は“さまざまな弊害”を生む。愚かな人間は、遊びたいし、楽をしたいし、欲望を満たしたい。いや、愚かな人間でなくても“普通の人間”はそうなのだ。つまり宗教的な規制は、人間から“楽しみを奪う”ことが多い。例えば「酒を禁じている」宗教は多い。インドのヒンズー教もそういう宗教の一つだ。したがって、おおっぴらには酒が飲めない。そうすると、どうするか。密造酒を作る。或いは密造酒を買う。ところが“安価な密造酒”を作るためには工夫が必要だ。そこで、メタノールを入れる。しかも工業用のメタノールを入れる。そうすることでアルコール濃度が高められ、安い金額で“酔いやすいお酒”がつくられる。こうして秘かに密造酒が横行する。そうするとどうなるか。人体に対するメタノールの量が多くなると、中毒症状が現れ、場合によっては死を招く。こうして、今月に入ってインド西部のグジャラート州では密造酒による死者が42人となった。現在も97人が入院中であり、予断を許さない。元々は“神様からの規制に反した”のだから、死を持って償うのは当然と言えば当然なのだが、なぜか釈然としない。イスラムでもヒンズーでもユダヤでもそうだが、どうしてあんなに“規制が多い”のか。宗教が人間を規制する場合、特別な理由はいらない。要するに理由はともあれ“ダメなものはダメ”という規制の仕方なのだ。それは、大人が幼い乳幼児に対して“ダメ”というのとさほど変わらない。それでも、人間がそれに従おうとするのは、その先に“願望が叶う”とか“幸福になれる”とか“天国に行ける”とか、何らかの保証があるからだ。もちろん、保証があると言っても、その保証はきわめて危ういものではある。それでも人は、それを信じる。信じたいような境遇にある人達が多いからだ。人は悲惨な境遇に置かれて、そこから脱出する手段のない人ほど“過酷な規制”を乗り越えてでも、神を信じ“神の掟”を信じ、救いの“綱”にすがろうとする。そして、その掟に少しでも背いたものは、密造酒によって“地獄”へと落ちるのだ。
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