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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


“最初の二刀流”だった「たけし」&「北野武」


今でこそ「二刀流」は珍しくもない。けれども、あの頃はほんとうに珍しかった。「ビートたけし」が「北野武」として映画監督として出現したころだ。そうして、彼の“映画監督としての才能”は国内よりも海外で高く評価され、フランスの映画賞などを獲得した。もっとも、彼は正確に言うと「三刀流」で絵も描いている。それに俳優としてもさまざまな作品に出演してきた。そういう意味では最初から“芸人枠”から食み出していた。ただ今回の監督作品『首』は彼の19作品目というから、映画監督の方は紛れもなく本職の一つと言える。近年は芸人や俳優でも“監督作品”を撮りたがる傾向がみられるが、そのあとの作品が続かない。小説でもそうだが、1作や2作は、或る程度の能力がある人は書き上げられる。ただ“その職業人”としての才能をほんとうに持っている人は、世間的な評価などとは関係なく、3作品目以降も持続・継続して作品を生み出せる素質を持っている。そういう人は、今は認められていなくても、必ず、その方面の素質・能力は持っているので、放り出さずに継続していけば、やがては社会的に評価されたり、世間的に人気を出したりするチャンスが出てくるものだ。ところで今回の北野氏の『首』はどう評価されるだろうか。まず歴史的にも有名な「本能寺の変」を題材に扱っているというのが、解りやすくて良い。一時的には作品そのものが「お蔵入りになる」可能性がささやかれていただけに、一般上映までこぎつけられたことで関係者一同がホッと胸をなでおろしたことだろう。KADOKAWA社長の夏野剛氏が「製作費15億、全部うちが出している」とわざわざ言い切った。つまり、そういうリスクを抱えても“世に出したい魅力”を備えた映画だったということだろう。昔のように何十億も制作費を出せる時代ではない。そういう時代の中では15億の製作費を出してもらって、一流の俳優陣を揃えてもらって、これでコケてしまったなら海外が認める認めない以前に、日本国民が映画監督としての「北野武」を見限った、ということになる。そうならないためにも“職業・映画監督”としての北野武氏の実力が試されている。
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