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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


現代には珍しい「破滅型」だが愛された作家


人間にはさまざまな“生き方”がある。その“生き方”の基になっているのは「先天運」と呼ばれるものだ。いわば先天運が“生き方”を促す…と言ってもいい。その「先天運」として芥川賞作家だった西村賢太氏はかなり“異質の先天運”を与えられていた。年・月・日に「丁・丁・丁」と並ぶ。月支蔵干も「丁」だった。四柱推命では生れ日を「われ」と視るので、年月にも「われ・われ」が続き、悪く言えば“自分中心”、良く言えば“超個性派”の生き方になる。実際、彼は“私小説作家”で、自分の暮しや過去に起こっていた出来事しか描かなかった。物語を“創る作家”ではなく、あくまでも“自分のリアルな暮らし”を剝き出しにする作家だった。そういう小説を「私小説」と呼ぶが、近年は誰もが同じような暮らしぶりをする傾向があるので、純粋な私小説作家は少ない。つまらない小説になってしまうからだ。そういう意味では履歴的にも、破天荒な青年時代を過ごした西村氏には“私小説を書く”資格があった。ただ芥川賞作家だが、文章は必ずしも上手いとは言えなかった。どちらかというと、読みにくい文章とでもいうか、上手さはなかったが逆にそれがリアルな心情を伝えるのには効果的だった。だから彼には早くから固定ファンが居た。けれども“文学的表現”には欠けるから、芥川賞の候補にはなっても、なかなか受賞できなかった。そういう中で唯一、最初から彼を猛烈に支持したのが石原慎太郎氏だった。言ってみれば、石原氏からの支持を得て受賞にこぎつけることが出来たのだ。その恩師ともいうべき石原氏が亡くなってすぐ、また数日前には彼が勝手に“師匠”と慕う作家の藤澤清造氏の命日でもあった。はからずも運気は彼の生れ日「丁」と“干合”する年干「壬」の年、そして今月は「壬」の月、と重なる。運気的に干合すると、人は“自分ではないような自分”となる。“もう一人の自分”といっても良い。干合は“一体化”してしまうので、本来の自分が薄れていってしまうのだ。もちろん、彼自身はそんなことは知らなかったに違いない。もしかしたら、強引な石原氏に「お前も来いよ」と引っ張られただけなのかも……。
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