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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


難病女性自身が描く「欲望・怒り・ユーモア」


今回の芥川賞に先天性難病を持って生れた市川沙央氏(43歳)の作品『ハンチバック』が選ばれた。文学界新人賞にも選ばれたデビュー作らしい。本人もおっしゃっているようだが、確かにこれまで先天性難病を抱えて生れてきた方の小説家は記憶がない。そういう方達が、われわれ健常者とは異なる日常的な“受け止め方”を持っていることはあまり知られていない。だから、その必要性を感じて描いたのだという。したがって難病女性の“欲望”や“怒り”や“ユーモア”が随所に出てくる。つまり単なる「難病克服記ではない」ということ、ここが重要なのだ。ともすればわれわれは、その“苦しみ”や“辛さ”や“希望”といった部分にのみ目を向けがちとなる。けれども、当然のことながら彼らは、それだけで生きているわけではない。そういう方達でなければ知り得ない、或いは感じない“欲望”や“怒り”や“ユーモア”も備えて生きている。だからといって、それをそのまま日常的に語ることはない。同じ感覚を持った者同士でしか、共有できない独特の世界だからだ。けれども、小説という形を取れば、それは一般の方達でも共有することが出来る。もしかすると文学というのは、そういう少数者特有の感覚というか感情というか、そういうものを“そうではない人々”にも理解させ、共感させ得る“稀な手段”であったかもしれない。歴史ドラマなどを見て、われわれは大いに感動したりするが、実際には“その時代の感覚”はその時代を生きなければわからない。現在のわれわれとは、あらゆる部分で違っている。それなのに、われわれが理解できるのは、それがドキュメンタリーではなく“小説世界”だからなのだ。ドキュメンタリーでは形や結果は伝わっても、その“心の声”“心の言葉”“心の行動”が伝わることはない。それは必ずしも、われわれ健常者が勝手に障害者に対して描いているイメージとは大きくかけ離れているかもしれない。そのことを気付かせるために登場したのが、今回の芥川賞作家なのかもしれないのだ。
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