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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「おまじない」としての“貨幣で顔を洗う”


今年はいつもの新年に比べると“旅立つ人達”が極端に少ない。“海外”はもちろん“国内”でも乏しい。“自粛”要請が出ているのだから、或る意味では当然である。私には昔から、自宅で新年を迎える時には、必ず行う“おまじない”がある。元旦の“日の出時刻”に合わせて、顔を洗うのだ。ただ単に洗うのではない。洗面器の中に、5百円玉、百円玉、五十円玉、十円玉、五円玉、一円玉を何百枚も入れて、それらの硬貨を何度も救い上げながら、顔面を洗うのだ。こうして“初日の出時”に顔面を貨幣で洗うと、その一年は「お金に困らない」と言われる。私のような仕事は一般に“浮き沈み”が激しいし、どこからも何の保証もない。そういうこともあって、いつからか、この「おまじない」を実行するようになった。もちろん、旅行中のホテルなどではムリなので、あくまで自宅で新年を迎える時に限るのだが、これを実行することで一応の安心感を得る。人間というのはもろいもので、ちょっとした安心感や不安感から、がらりと違った心境になる。日本の正月に行われている風習の多くは、実はこの種の「おまじない」が浸透して習慣化したものである。だから、ほとんどの人は無意識に行っているもので「初詣」だって、本来は“新年の願掛け”のようなものである。「門松」とか「締め飾り」とか「破魔矢」とか「羽子板」などにしても、或る種の“呪術”に由来している。“呪術”と“占い”は親戚関係のようなもので「初夢占い」とは、その両方をミックスしたものだ。昔から「初夢」として善いのは「一ふじ、二たか、三なすび」などと言って、それらを観れば“幸運な年”だとされているが、富士山はともかく、鷹の夢とか、茄子の夢とかは、なかなか簡単に視られるような夢ではない。よく、元旦の日ではなく、正月二日の日に視るのが“初夢”だと教えているものがあるが、正確にいうと、それは違っていて、夜の十二時を過ぎてから寝た人は元日に視た夢が、そのまま“初夢”になる。私は、坂道を登るような感じの夢はたまに見るが、富士山とか山を特定できるような夢は見たことがない。鷹だけではなく、鳥類もほとんど夢に出て来たことがない。さらに茄子というのは食事の夢でも見なければ出て来ないような気がするが、私の場合、夢に出てくる食事はほとんどが“お弁当”で、しかも普段から野菜類は好まないので、出て来たことはない。このように考えると、縁起が良いと言われる夢を見る確率は、ほとんどゼロに近い。“吉夢”と呼ばれる夢で、時々見るのは“大便の夢”と“火事の夢”と“蛇の夢”である。なぜか、これらはときどき見る。すぐ忘れてしまうことが多いので、その後“吉事”があったのかどうか、確かめていない。

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