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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「もう少し生きていれば…」という「炎の人」⁉


先日NHKBSで大昔の洋画「炎の人ゴッホ」が放映されていたので録画しておいた。もう70年近くも前の映画だ。こういう歴史に基づいた映画というのは、或いは伝記小説などに基づいた映画というのは、何十年経っても色褪せることはない。もちろん、この映画で登場するのはオランダの画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホのことだ。その生涯については何となく知っている。けれども、あくまでも「なんとなく…」で、歴史上の人というのは彼に限らず「何となく知っている」程度の場合が多い。だから、そういう意味では、かえって新鮮な気持ちで、この映画を観ることが出来た。まあ、今でこそ“ゴッホの絵”と言えば、何十億円で売買されるようなものばかりだが、彼が生きていた当時の評価は低く、だれも購入してくれなかった。考えてみると、絵画の価値というのは、けっこう世評が関係していて、どんなに実力があっても“世間が認めない”ことには売れていかない。ゴッホの場合、実の弟が“画商”であったので、当然、実兄の作品を“世に出そう”と頑張ったのだが、それでも生存中は売れなかった。したがって、ゴッホは生涯にわたって貧乏なままだった。運命学的な観点から言えば、確かに彼の顔貌は“裕福な人”の顔貌ではない。ただ、もし、彼が37歳で自殺することなく、60歳くらいまで生きていたなら、少なくとも“それなりの評価”は得られるようになっていたような気がする。人間の運命には、40代、時に50代くらいになって、徐々に“評価されていく人”というのが居る。俗にいう「晩年運」というヤツだが、現代の場合には長寿社会となったので、60代くらいになってから…いう場合もある。そういう運を持って生まれている場合、どんなに頑張っても、20代や30代までは“世間的評価”を得られない。特に芸能とか、芸術とか、音楽とか、文学とか、武道とか、研究とか、学問とか、技芸とか……元々“世間評価の難しい分野”だ。だから、もし、自分の才能を信じられるなら、けっして“早すぎる決断”を下してはいけない。よく、アッサリと“その分野”から離れてしまう人がいるが、自分の才能を信じられる場合は、世間の評価など「元々いい加減が物なのだ」と思っていた方が良い。但し、自暴自棄になって自ら“人生を破壊してしまう人”が、この種の人たちには多い。忍耐力も才能の内なのだ。
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