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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「デジタル」敗れて「紙教科書」が復活する国


俗に「先進国」という表現は“何”を基準として言っているのか、よく解からないことがあるが、その先進国の一つであるスウェーデンにおいて、興味深い事実が報道されている。この国はいち早く“デジタル教科書”を取り入れた国なのだが、その結果、近年、急速に子供たちの学力低下が表面化して「やっぱり紙教科書に戻そう」という動きが盛んになってきているという。こういう興味深い事実を知ると、なんでもかんでも“科学的なら良い”というものではない、ということがよく解かる。日本では、遅ればせながら2019年度から文部科学省が推進して全国の小中学校に“デジタル教材”を普及させた。したがって名目上は、今では“一人一台”画面で学ぶ形が取られてはいる。ただ全面的にというのではなく、あくまで“補助教材”的な意味合いが、日本の場合には強いような気がする。スウェーデンという国は何でも早くて、たとえば紙紙幣は実質的にほとんど使われていない。国のトップも若い人たちで占められていて、確か女性首相(⁉)だったはずだ。そういう国だから、ものごとを変更していくのも躊躇しないというか、実に歯切れが良い。いち早く“デジタル教科書”を取り入れ、その結果、児童たちの学力低下が著しいと判れば、今度は何のためらいもなく、すぐ“紙教科書”へと戻す。そういう変化に対して抵抗感がないようだ。「日本」という国は何でも、ものごとに慎重で“一気に変える”ということはなかなかしないが、その代わり、いったん“それ”に転換したなら、よほどのことがない限り、また「元に戻そう」とはならない。これは国民性もあるのだろうが、どっちが良いと決めつけられるものではなく、それぞれに“良し・悪し”があるような気がする。ただ、ひとつ気が付くことは、若い人たちが主体で国を動かすと、その変化に対する対応も早く、高齢者たちが主体で国を動かすと、どうしても慎重となって“徐々に変えていく形”を取りがちとなる。それと何でも「科学的なら良い」とか「先進的なものなら良い」という時代でなくなったことは事実のようで、これからは、それぞれの長所や短所を見極めながら「上手に融合させていく時代」に変わりつつあるような気が、なんとなくする。
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