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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「マリア」「イシス」「慈母観音」を同一視⁉


エジプトのギザにあるコプト教会で、ミサに出席した人たちが火災に遭い40人以上が亡くなった。エジプトと言えば現在は“イスラムの国”で、国民の9割がイスラム教徒である。いまから15年ほど前、ギザのホテルに泊まった時、夜明け前から聴こえてきたのはコーランだった。もちろん、コーランというのはイスラム教徒の礼拝合唱で、或る種の呪文のようにもわれわれには聴こえる。それが外から流れて来るのだが、拡声器を使ってボリュームを上げているために、どんなに高級なホテル内に居ようと目覚めてしまう。毎日こんなものを聴いていたなら、嫌でも「神は偉大なり」と言いそうになる。だから、国民の9割というのだが、実際には10割なのではないか、と秘かに想っていた。どのモスクも昼間などあふれんばかりに人だかりがあった。けれども、やっぱり、そうではなかったらしい。今回ギザで火災に遭ったのはキリスト教の分派である「コプト教」の教会だったからだ。コプト教というのは日本ではあまり知られていないが、古代エジプト時代から存在した“エジプト式のキリスト教”なのだ。正確に言えば“やや変則的なキリスト教”とでも言おうか。通常のキリスト教では「イエス」を“神の子”として崇めるのだが、コプト教の場合には“その母であるマリア”を何よりも尊ぶ。その点で共通しているのが、日本の長崎に花開いた“隠れキリシタン”である。彼らもキリスト教徒ではあったが信仰していたのは“マリア様”の方だった。そこで彼らは“仏教の慈母観音像”を「聖母マリア像」に見立てて拝んでいた。実はコプト教徒も名称としては“聖母マリア像”だが、ほんとうに拝んでいるのは古代エジプトで“聖母”として信仰を集めていた“ホルスの母イシスの像”だった。古代エジプト人たちから「イシス」を奪うことなど出来るわけがなく、聖マルコは“折衷案”的な意識で「聖母マリア」のキリスト教を布教したのだ。つまり、古代エジプトでも、鎖国時代の日本でも、“聖母”というのはどの民族にも共通して生きていて、だから信仰対象となる。慈母観音は“遠くから見守るだけの観音”だが、より積極的に“民を抱いてくれる聖母”こそ、虐げられた人々の信仰対象となるのだ。
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