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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「レトロな店」に漂うなんとなくの「安心感」


久しぶりにレトロなレストランで食事をした。この店はすべてがレトロだが、意識して作ったレトロ感ではなく、要するに「古いものをそのまま使っている」ことでのレトロ感だった。店の入り口には食品サンプルがたくさん展示してあるが、おそらく何十年も前に作られたに違いない食品サンプルが並んでいて、それをあまりじっくり見ると“美味しそう”な気がしなくなってくる。ソファーにしろ、テーブルにしろ、椅子にしろ、壁にしろ、すべてが何となく懐かしい。つくられた懐かしさではなく、古いだけの時代が舞い戻ったような懐かしさだ。ところが、そういう店なのだが、けっこう広い店内は、いつも満員だ。何も新しいものはないのに、いつも満員なのだ。お年寄りだけが入って来るのではなく、若い人たちも、家族連れも入ってくる。まあ、メニュー的には、一応何でもそろっている。それにボリュームもある。特別美味しいかと訊かれれば、特別とは言えないが、ふつうに美味しい。それに何よりも懐かしい味なのだ。この“懐かしい味”というのが実は重要なことなのかもしれない。価格設定もハッキリとしていて、必ずしも安くはないが、今時のオシャレな店に比べれば安いと思う。そして、なによりも、ゆっくりと食事が出来る。この“ゆっくり”というのも、最近の店では少ない。昼時は特に、無意識に“急がせられている”ような気になることがある。それがない。それと、もう一つ、レトロなレストランの良いところは週刊誌とか新聞とかを置いていることだ。週刊誌など昔はどの店にもあったが、いまはほんとうに少ない。やっぱり病院や美容院の待合室でもそうだが、昔はこの種の店で“そういうものを読む”ことも一つの愉しみだった。確かに今はスマホとかパソコンとかで嫌と言うほど情報は流れて来るが、週刊誌やスポーツ新聞などの“やじ馬感”が乏しい。ここに多くの人たちが集まって来ているということは、そういう“昔風な暮らし方”を好む人たちが多くいるということだ。そうなのだ。世の中にはいろいろな人が居て良い。レトロな雰囲気の中で、時間を気にせず、懐かしい美味しさの食事や飲み物で時間を過ごす。距離間のあるテーブルは他の人たちが気にならない。そういう“昭和を引き摺った店”が意外なほど繁盛しているのはとても好いことだ。
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