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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「一人娘への溺愛」が「首狩り殺人鬼」を生む


昨年、世間を騒がせた「ススキノの首狩り殺人」の公判が始まった。容疑者・田村瑠奈の母親が証言台に立ち、さまざまな事実を語った。それらから推測するに、殺人ほう助の父親も含めて、この三人家族の在り方は、明らかに異様だった。或る意味で、父親は精神科医であったが故、自らの家庭を“実験現場”のような認識を持っていて、精神異常者(瑠奈容疑者)を“救う”には何が必要なのか、どうするのが正しいのか、試していたような節も窺われる。そうでなければ、引き篭もりの娘を「お嬢さん」と奉り、自分たちが“運転手”や“風俗嬢”など蔑まれた“奴隷的な扱い”を甘んじて受け入れるはずがない。父親は精神科医として、娘に“全幅の愛情”を捧げることで、いつか娘が“まともな状態”へと立ち直っていくか…の期待を抱いていたのではないだろうか。瑠奈容疑者は「多重人格的要素がある」とも言われているが、それも、もしかしたら、父親の方が“そういう方向”へと無意識に仕向けた可能性はないのか。そうすることで、或る意味では、甘やかしすぎて不登校から引き籠もりにいたり、さらにはわがまま放題となって“お姫様状態”の暮らしを助長させていったことへの言い訳にしていたような節も窺われる。これは、だから、或る意味では多くの“引き籠もり状態”を続けている子供を持つ親たちへの警告でもある。やはりというか、あまりの放置状態、加えて、あまりのわがまま状態を“世間から目隠し”してはならないのだ。なぜなら、そうすればするほど、本人は「ありのままで良い」という歌のような錯覚を持つ。あの歌は危険なのだ。ほんとうにありのままで良いのは、社会生活を健全に送っている人達のことだ。健全に社会生活を送れていない人たちが“ありのまま”で良いはずがない。幼少期とか、青春期とかの引き籠もりは、或る意味では仕方がない場合もある。また身体に欠陥がある場合にも、仕方がない場合もある。けれども、心身とも本来は“正常”である場合、社会に“居場所を見いだせない”のは、本人の方にも何らかの問題はある。そういう認識がなければ、いつまでたっても“引き籠もり”からは脱却できない。自分の子供を“異常者”にしないためにも、ありのままで居させてはならない。
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