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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「一寸先は闇」という“教訓の年”


今年は著名人が突然“ピンチ”に立って、表舞台から消えていくような出来事が多かった。年始から年末まで、ずっとそうだった。“ピンチに立つ”理由はさまざまだが、マスコミが関与しているケースが多かった。それなりの知名度や収入があって、才能にも恵まれた人達が、あっという間に窮地に陥る。それが今日の“情報化社会”だ。特に日本は国土の面積も狭く、人種や言語も一つで一国としてのまとまりが良い。或る意味、まとまりすぎているので“一つの考え”とか“一つの意見”が優先されると、それ以外の考えや意見は抹殺されやすい環境にある。どの地域でも共通した情報が流れ、どの世代でも職業でも共通した知識を共有している。それ故に、人気を得るとか、支持を得るのも早いのだが、バッシングを受けるのも早い。つまり、いったん「悪」のレッテルを張られるとどこへも逃れようがない。仮に、それが“単なる噂”や“憶測”や“誤解”だったとしても、取り返しがつかない。そういう“怖い国”なのだ。しかも日本人は総じて潔癖なので、一度犯した過ちは簡単に許したりしない。確かに、今年“急に表舞台から消えた”人達の多くは、反省すべきところを持っていた。例えば「舛添要一氏」を振り返ってみよう。確かに彼は「社会的地位は金銭を必要とする」という考え方の持ち主だった。そのこと自体は、彼の“考え方”なので、必ずしも「悪」とは言えない。問題は、税金を“プライベートにも流用した”ことだった。彼の考え方の中に「それなりの仕事をしていれば、多少プライベートで使っても許されるだろう」という“甘さ”があったことだ。この“甘さ”が、今年、突然“ピンチに立った”人達に共通してあった。だが、それは彼らだけなのであろうか。実は多くの人達が、そういう“脇の甘さ”を持っている。ところが今の日本は、この“甘さ”を許すことが難しい国になった。したがって余程緊張感をもって日々を過ごしている人でない限り「一寸先は闇」なのである。著名人でない限りマスコミは騒がないが、身近な人たちがマスコミのように眼を光らせているのだ。

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