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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「不思議な年」から「生れ変りの年」になれるか


年末が近づいてくると、どのマスコミでも「今年一年」といったような角度から、さまざまなニュースや出来事などを語ったりする。多くの人は、そういうものを観たり聴いたり読んだりしながら……自分にとっては……という感じで想い起したりする。たぶん、そういうふうな感じで“受け止めない人”はいないのではないだろうか。わたしの場合、今年は一言でいえば「不可思議な年」で、良いとか悪いとかいうより、不思議な気持ちのまま、ずーっと過ぎていった年のような気がする。形として、現象として、何が起こったというよりも、なんとなく靄がかかったような状態のまま年末まで来た。わたしも、もう老境であるから、特別、大きな出来事などないのだが、そして、その方が良いのだが、今年に関しては「早く過ぎ去ってしまえばいい」という気持ちが強い。それは、或る意味で“来年に期待する気持ち”が強いからだ。こういう気持ちになったのは、ほんとうに久しぶりで30代くらいまでは時々あったのに、最近は滅多に生じたことがない。未来に何かを期待する時、人は「早く、その時が来てほしい」と願う。だから、若い年齢の時ほど、そういう年末を迎えやすい。そういう意味で言えば、わたしは来年に強い期待を持っているのだ。それが“どういうことなのか”については事情があって書けないが、ただ、同時に自分自身が“生れ変る”かのような感覚もある。そして、思うのだ。やはり、人は、どうしても年齢が行くと保守的になって「なにもない方が安心できる」的な発想を持ちやすいものだが、それでは“若々しい情熱”は保てない。むしろ、自分自身が「生れ変っていく」感覚とでもいうか、未知なるものと遭遇する気持ちとでもいうか、まるで20代の頃のような“不安と期待が交錯する”気持ちで“新たなる年”を迎えられるというのは、なんと素晴らしいことではないか。もっとも、その一方で最近は、確実に“老い”を感じることも多い。人の名前が出て来ない…のは、今に始まったことではないのだが、最近、特に“記憶力の衰え”を感じることが多い。昨日も、絶対に忘れてはならない企業の名前を忘れて、うろたえてしまった。焦れば焦るほど出て来ない。その企業名が出て来ないと会話にならない。来年は、この記憶力の低下を何とかしないと“生れ変っていく”ことも難しい。頼む、記憶力‼
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