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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「人生」に“つまづくこと”は誰でもあるが……


わたしは「運命」というものを扱う仕事をしているせいか、その「運命の成立ち」或いは「人生の仕組み」のようなものに人一倍関心が深い。埼玉県飯能市の住宅街で25日の早朝に殺人事件が起きた。69歳の米国籍の男性、そしてその妻である68歳の日本人女性、さらにはその二人の娘であり都内在住の32歳の女性の三人が、同じ地域で60メートルほど離れた場所に単身で暮らす40歳の斎藤淳容疑者によって殺害された。容疑者はその後、その住宅に火を点けたのだが、近隣からの通報が早かったので、すぐ逮捕されてしまった。斎藤淳はなぜか“この家族”に対して、以前から強い“恨み”を抱いているようだった。昨年の8月~12月にかけて6度も、門扉とか車両とかを損壊している。そのたび容疑者として浮上するのだが、そして3回逮捕されているのだが、供述を否み不起訴になっている。したがって、今回のような事件が起これば、仮に逃亡しても真っ先に疑われる。それを承知で殺害に及んだとしか思えない。もしかすると放火して家を全焼してしまえば、不審火で処理されるとでも思っていたのか。容疑者が、被害者家族の“どういう部分”に対して“恨み”を抱いていたかは明らかではない。ただ“おの”や“まさかり”のような鈍器で執拗に後頭部とか頸部とかを襲っているところをみると“逆恨み”かもしれないが“恨んでいた”のは間違いない。容疑者は30年以上前に、この地域に来ている。その時には一人ではなく、両親も居て、姉も居て、祖母も居たらしい。ところが、どういうわけか次々と、家族がこの家から出ていく。最終的に引き籠もりに近い彼だけが残った。中学時代から“引き籠もり”的な要素があったという証言もあるが、一応、芸術大学を卒業している。そして、その後は映画監督になるべく努力したようだ。ただ初制作した作品の最終段階でスタッフと衝突し、それ以降現場に出て来なかったようだ。したがって、彼の作品は一つだけ存在しているのだが、実質的には“未完”だったものを残りのスタッフで完成させた作品なのだ。要するに、才能はあったと思うのだが、人間関係を築くということが、根本的に出来ないというかヘタというか、社会への適合性に問題ある人物だったようだ。どのような仕事分野でも多少の“人間関係の構築”は必要で、それは才能とは別物である。仮に彼がどんなに優れた才能や素質を持っていたとしても、それだけでは世の中が認めてくれない。稀に“天才”の中には、それを無視して著名になる人物もいるが、結局、長続きできない。それだけでは生きていけないように出来ているのだ。人生上の“つまづき”はだれにでもある。問題は、それを肥やしとして再チャレンジできるかどうかなのだ。
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