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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「他人がどう思うか」を、なぜ気にするのか⁉


ときどき自分は「違うなあ」と思うことがある。先日、何かのTVを見ていた時、多くの人たちが“他人の眼”というものを必要以上に気にしながら暮らしていることを、今更のように知った。わたしは、幼い頃から、他の人が自分のことを「どう思っているか」とか、気にしたことがない。というか、そこまで考えて暮らしたことがない。気にならないというよりも、気にする“余裕がない”のかもしれない。多くの人は、たぶん、心身に余裕があるから「周りが、どう思うか…」とか気になってしまうのだろう。自分のことだけで“精一杯”だと、だれが何を想おうが、誰かじゃないが「そんなの関係ない」ということになる。それに、ほんとうのところ、人の性格とか、考え方とか、生き方とか、それぞれまちまちだから、だれに合わせて「みんなはどう思うか…」とか思えば良いのか、それ自体がわからない。Aという人が「ヘンな奴」と思うかもしれないが、Bという人は「カッコいい人」と思ってくれるかもしれない。Cという人は「オモシロい」と思うかもしれないし、Dという人は「気に入らない奴」と思うかもしれない。十人十色だから、だれに照準を合わせて良いのか、わたしには解からない。だから結局だれのことも気にすることなく、だれの眼も意識することなく、自分の思うようなことをしてきたし、これからもしていくのだろう。そういえば誰かが「波木さんは強いから…」という趣旨のことを言った。つまり、精神的に強いから、人がどう思おうが気にせずに居られるけど、ふつうの人は、やっぱり“弱い”から、たとえばネット上で叩かれたりすると凹んでしまうのだ…と言いたげであった。「強い」というのは、ほんとうは間違いで「自分と人は違う」という想いだけが、たぶん人よりも強いだけだと思う。違うのだから、自分で想ったことを行い、思ったことを言う…ことしか出来ない。だって、そうじゃなきゃ、誰かに“なり切って”ものを行ったり、言ったりしなきゃいけない。その方が、よっぽど難しい。だから、嫌われてもいいから、楽な方の“ありのままの自分”で居るしかない。でも、昔の歌と違って、ありのままの自分なんて、ほんとうに理解されるはずもなく、好かれるはずもない。だから、最初から「別に嫌いになるなら嫌いでかまわないよ」というスタイルで生きてきた。みんなから“好かれる”なんて絶対にありえないことで、それを望む人は「バカじゃないの」と思ってしまう。嫌いは嫌いで良いじゃないか。やっぱり、昭和のように、もっと自由に発言できる世の中が好い。
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