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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「佐藤栄作」墓場から蘇える「平和賞」授賞⁉


ノーベル平和賞が「日本原水爆被害者団体協議会」という“難しい名称”の団体に贈られた。世界中で「核兵器のない世界」を訴えてきた功績のようである。日本人でもほとんどの人が良く知らない団体に「ノーベル賞」が贈られたこと自体は大変に喜ばしい。だが、さまざまな疑問が浮かぶ。元々わたしはこの「平和賞」という賞が「ノーベル賞」の“一部門”であること自体が、いま一つ納得できていない。いや、あっても良いが“毎年選出するような賞”であるのか、疑問なのだ。もし毎年選出されるのであれば、その年に相応しい人物や団体に贈られなければならない。ところが、授賞された団体は、確かに世界に対して「核兵器のない世界」を訴え続けてきたのだが、近年は被爆者たちが“相当な高齢者”になってしまっているところから、目立った活動はしていないよう私には思われる。まあ、他のノーベル賞だって“その年に活躍した研究者”に贈られているわけではないから、一種の“功労賞”的な意味合いもあるのだから、そういう意味では“不思議ではない”ということになる。日本では既に50年前に「佐藤栄作氏」が個人として受賞している。彼の場合は、その首相時代に「核拡散防止条約」に署名したことが第一の理由になっている。もちろん、日本の総理大臣でノーベル賞を受賞したのは、後にも先にも“この人”以外には存在していない。この人は、長期にわたって政権を築き、日本の国力を“世界に押し上げた”そういう意味での功労者だが、果たして“平和の使者”と言えるのかは……微妙なところだ。ただ歴史を振り返っても、各国のリーダーたちに「ノーベル平和賞」を受賞した人物は滅多にいない。そういう意味で言えば“その死後も残る栄誉”に恵まれた人物と言えるだろう。大体「首相」という栄誉も、努力だけで得られるものではなく、或る種の“タイミング”というか「運」が大いに関わっている。それにプラスして「ノーベル平和賞」という栄誉は、よほどの“運”を持っていなければ得られるものではない。ただ、これだけの“運”を持っていながら、この人は“人気”がなかった。本人は、その人気を得たいということで“虚しい努力”を続けていたようだ。ただ、この人の後に首相となった田中角栄氏は“人気”もあったが“敵”も多くて、政権が長く続かず、最終的に「罪人」にまでなったことを想うと、人の持つ「運」というのは、あまり欲張ってはいけないのかもしれない。
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