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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「刺青」はハードル高いが「女体書道」なら⁉


昨日、溜まっていたTV録画番組を観ていく中で、ちゃんと視ようという気でもなかったノンフィクション「女体書道」に強く惹きつけられた。大体「女体書道」そのものについて、わたしは知らなかった。いや、わたしだけでなく、多くの人が知らないと思うが、或る種、新しいジャンルの“アート”といって良い。プロの書道家が、女体の背面……つまり背中から腰、時には肢までも使って“言葉”と“画像”を筆だけで描いていく。そして、その画像を“写真映像”として残し、そのあとすぐ拭き取っていく。だから、刺青のように後々まで残ることはない。謂わば“一瞬のキャンバス”として自分のハダカの背面を差し出す。そこに描かれる文字や言葉の内容、或いは画像も含めて、十分に書道家と打合せの後に行うので、本人の希望を入れるので、書道家の方はあくまでも「依頼者側に寄り添った書道」をして写真に残す。「女体書道」としての個展も行っているので、他人に視られる可能性はあるのだが、基本背面だけで“正面を向かない”ので「顔」を知られることはない。背面の写真は、文字だけを写すのではなく、アートとして“身体全体”というか“下半身には衣装などまとった姿”で写すとか、或いは髪に花飾りをつけて“色を添える”とか、さまざまなパターンがあるらしい。要するに「刺青」の女体版で、書が主体ということ、すぐに拭き取ることが可能で“一瞬のアート”であること、古典から抽出した言葉とか、自分の人生を物語る意味での言葉とか、詩の一節とか……その部分は何でも良いので、昔の『耳なし芳一』が全身にお経を書いたのとは微妙に異なる。異なるのだが、その本質は同じかもしれないように、わたしには思えた。たとえば自分自身が“生きる指針”としている言葉を書いてもらうことで、その画像を残すことで、それに沿った生き方が出来る。少なくとも出来るような気がする。そう思うから多くの女性たちが真摯に、自らの背中に文字を描かれようとするのではないだろうか。実際、これまでの画像はどれも、書だけとは思えないほどに“美しく肉感的”である。そういう意味では、やはり「刺青」と共通するものがある。男女平等でなければ気のすまない方達からは“攻撃”されそうだが、背面だけの映像は“女体”の方が絶対に美しい。一瞬でも文字を自らに描くことで、その文字が背面から内部に入っていくような錯覚が、彼女たちを“強く”変えていくのかもしれない。
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