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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「司教への刃物男」ライブ配信でシドニー恐怖


宗教というのは、本来は“平和”の象徴とされるが、時としては“テロ行為の標的”となることも珍しいことではない。4月15日にシドニーのキリスト教会で、礼拝を行っていた司教が15歳の少年に刃物で襲われた。この犯罪者達は何故か「ライブ配信」も行っていて、その映像を視る限り、暴漢が2~3m先に来るまで、司教は礼拝の方に気を取られて完全に無警戒だった。おそらく司教以外にも数名の牧師たちが居て、多数の信者たちが居て、いつも通りの厳かな場面であっただけに、その凶行が行われた直後は騒然となった。さいわい、すぐ近くに牧師たちが居たせいで、刃物男は司教には胸など複数回刺して、それを阻止しようとした牧師3人にも“軽い怪我”を負わせて取り押さえられた。まだ動機はよくわかっていないが、この事件が起こる2日前にも、大型の商業施設で“刃物男”が出現して無差別に買い物客などに襲い掛かり、6人がその犠牲となった。シドニー市民に、その恐怖と哀しみが消えていない中での犯行となった。無差別殺人でも、実際に6名もの犠牲者が出たということは、単なる衝動というよりも、何らかの“強い意志”を持っての凶行で、その恐怖が冷めやらぬ間に“第二の無差別テロ”ともいうべき事件が、キリスト教会で礼拝中に起こったということになる。これは明らかに、何らかの主義思想を持っている者たちの行動様式で、その事件をライブ配信していたことが明らかとなるにつれ、よりいっそう市民の間に不安感が強まっている。わたしが怖れるのは、こういう事件というのは世界各地に“伝播しやすい”ということだ。だから、オーストラリアから発生したことが、まるで“誘い水”でもあるかのような形で他の国へと伝播することを怖れる。地震とか火災にしてもそうだが、奇妙なもので、予期せぬ災難というのは思わぬところから降って来やすい。しかも、今回の場合は事件を起こしたのが15歳の少年であることが気に掛かる。ちょうど宗教などに疑問を持ち始めやすい年齢だからだ。無差別テロというのは“何かの主義思想”を背景としている場合が多い。その一方で“世の中に対する不条理”を感じているケースが多い。神様は不公平だが、だからといって、その不満を“神様のシモベである牧師たち”にぶつけて良いというものではない。
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