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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「天才」と「発達障害」とは“紙一重”の違い⁉


この十数年で急速に増えたものの一つに小中学生「発達障害児」の数がある。2006年には全国で7000人余りだったが、2019年の調査ではその十倍の70000人に増えていたというのだ。そういえば確かに、昔はほとんど聞かなかった病名であり、最近はときどき耳にすることが多い。一応、脳機能の発達に「偏りがある」場合の症状とされている。実質的には、学習そのものには支障の少ない発達障害と、学習そのものに支障の大きい発達障害とがある。行動面や情緒面に極端な偏りがあって、学校生活不適応なタイプと、日頃から注意さえしていれば学校生活可能なタイプがいるようだ。その両方を含めて提出しているのが、文科省などによる調査だ。ところが、その調査方法は担任教師へのアンケート方式で、精神科医でも小児科医でもない担任教師が、“何となくの日頃の観察”から記入していく方式となっている。その記入項目には「妙に大人びて見える」「自分だけの知識世界を持つ」「独特な眼付きを持つ」「注意事項を忘れっぽい」などの項目が含まれる。これらは別に“発達障害児”でなくても、普通に存在する個性や特徴のようにも思えるが、判断基準の一つになっている。私には正直なところなんとなくスッキリしないというか、納得がゆかない。何かもっとハッキリとした測定法やテストなどはないものであろうか。“独特な眼付き”なんて誰でもすることがあり、“忘れっぽい”のも生活的な弱点だが、学校生活が困難になるほどのこととも思えない。“大人っぽい”のや“自分だけの知識世界”なんて「天才児」と呼ばれる子供にもありがちな特徴ではないか。私の占いのお客さんでも、自分の子供が「発達障害」で入学前に悩んでおられた方がいた。けれども、その四柱命式やホロスコープからは優秀な頭脳が感じられた。そこで学校生活も、最初は多少問題があっても、慣れてしまえば問題はなく、将来的には優秀な成績を収めて優れた科学者になっていくのに違いない旨、判断をした。それから5年ほど経って別な問題で相談に来られた時「先生のおかげで普通の学校に入れて本当に良かったです」とお礼を述べられた。学校側が、あまりに早期に「発達障害児」と決めつけ“普通枠”から外してしまうことは、大いに問題を含むよう思われてならない。
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