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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


本当に“胸を打つ”シーンは「そこ」じゃない‼


偶然なのだろうが、この春のTVドラマで登場人物たちが“記憶を失う”というシーンが続出しているようだ。なんと全部で5人も居るというのだ。ちょっと多すぎないか。どうして、こういうことになるのだろう。おそらく、そういう人物を出すことで「感動的なシーン」や「不条理な出来事」というのを演出しやすいからだ。つまり、視てくれている人達がドラマ全体に対しても、あまり批判的でなく、やさしい気持ちで視て貰えるような、受け入れてくれるような“下地を作りたい”からではないだろうか。しかし、わたしは最近の漫画的な“ありえない設定”が、物語をつまらなくしているような気がする。なぜなら、そういう“ふつうではない場面設定”だと、視聴者との間に距離が生まれる。なぜなら、身の回りには“記憶を失った人”など居ないからだ。どうして、もっと“ふつうの設定”で視る者を引き込めないのか。わたしは最近、TVで録画しておいた外国の映画を観た。その映画は“100年ほど前のアメリカ”を描いたもので、経済的にも追い詰められた家族が“力を合わせて生きて行く”というような設定だった。その物語の中で、男女の葛藤を描くシーンで、トランプカードを握り潰していく……というシーンがあった。どうすることも出来ない感情を抑えきれなくて、無意識に握り潰していく……ただそれだけで、相手との言葉のやり取りや表現は一言もないのだ。本当は山ほど言いたいのに何も言えなくて、そういう中で耐え切れずにカードを握り潰していく。そういうことは誰にでもある。そういう経験というのは、或いは記憶というのは誰にでもあって、その手元だけ映し出しているのだが、何も言わない時間が妙に訴えかけるのだ。こういう“自然な設定”“自然な描写”というものを、いまのドラマは忘れているのではないか。なんでも言葉として表す。形として示す。文字として表記する。だれにでも解るように……というのがいまのTVには必要なのかもしれない。けれども、あえて「解る人には解かる」という“カードを握り潰す”だけのシーンの方が、実際には百倍も雄弁に物語っている。多くの人は、言葉のない中で“AIではない人間”と暮らしているのだ。
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