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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「天職」かどうかなんて、占い師にもわからない


俳優業をやって30年以上にもなる大沢たかお氏がTVのトーク番組の中で「自分の代わりなんていくらでもいる…」「皿洗いを天職だと思っていた…」「もしかしたら“皿洗い専門の会社”を起業していたかもしれない」などと述べた。つまり「俳優」を天職だと思ったことは一度もなく、たまたま誘いを受けて入って、たまたま継続して仕事が入って、現在まで続けてきているだけで、もし誘われなかったら、別な仕事で起業していた可能性が強いというのだ。実は、この話は運命学的な観点からも極めて妥当性がある話で、ごく一部の“特殊な運命の人達”を別とすれば、ほとんどの人たちにとって、これは真実なのだ。よく何十年も同じ仕事を続けていると、それ以外の仕事は「自分には出来ない」と思ってしまう人がいるが、そんなことはない。ただ昨日まで何十年も一つの仕事を続けてきた人が、急に今日からぜんぜん別個な仕事ができるか、と言えばそうではない。人には何であろうと日常が大きく変わる時には、心の準備や切り替え、身体の準備や切り替えが必要だからだ。したがって、まずは少しの間“準備期間”というものが必要になる。それを省いていきなり変わろうとするから「出来ない」と思ってしまうのだ。ほんとうに「天職」として、その仕事だけを生まれた時から与えられている人なんて10人に1人も居ないのだ。わたしなど、5~6歳の頃から「占い師になる」と想ってはいたが、それはたまたま占い師が“スター”のように思えたからで、子供時代の“憧れ”をそのまま口にしていただけに過ぎない。実際には紆余曲折があって、いつの間にか“占い”を仕事にせざるを得なくなっていた。それで「天職」であればスイスイと仕事が出来て、またたく間に成功できるのかと言えば、そうでもない。これも勘違いしやすいことで、そういうふうな人も稀にはいるが、千人に1人くらいの確率だと思った方が良い。ほとんどの人は「天職」のように感じても、なかなか上手くは行かないし、その報酬もそれほど得られない。「天職」と「天与の金運」は別物なので、自分に相応しい仕事を始めたからと言って、それがそのまま収入アップにつながるわけではない。中には、逆に“食べていけない”状態に陥ってしまう場合もある。自分の中で「天職」を見つけられない人は、たぶん、そんなに強く先天的に「天職」が強調されていない生れなのだ。その場合は、比較的いろいろなものが“職業候補”となり得る。それで転職を繰り返しながら、自分に“合うもの”を見つけていくのも一つの方法だが、あまり転職しすぎると自分を見失っていくケースも多い。つまり「自分には何も才能がない」と勘違いしてしまうのだ。職業というのは、自分の方から“その仕事”を愛さないと、その仕事の方も、自分を愛してはくれない。つまりは成功できない。或る意味では当然のことだ。その仕事で成功するためには何よりも“愛すること”の「第一歩」から始めなければならない。
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