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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「学習教員」と「生活教員」の“分別”が急務⁉


文部科学省の調査で何らかの精神疾患で“休職している”教員の数が、過去最多の5897人に上っていることが公表された。小中学校が荒廃していた一時期に比べれば、教員たちの負担は減っているかに思っていたが、実態は決してそうではなかった。現代はSNSが普及しすぎたせいで、あらゆることが表に晒される。その結果、教員たちは或る意味で“息抜きの場”というものがない。ただ単に担当教科を教えていれば教員が務まった時代とはわけが違う。今は、その外貌、履歴、私生活、性格まで、生徒と父兄の両方からチェックされる。更に組織としての“教育委員会”と“先輩教職員”から大きなミスが出ないよう監視される。新任の教師たちにとって、これほど過酷な職場はない。「教える」ことだけが主な仕事であった時代であれば、帰宅後は自由にできたはずだが、今はそれ以降の時間さえも携帯電話とSNSでの包囲があるため、簡単に気を抜くことが出来ない。そういう仕事・職場に居れば、徐々に精神が病んでいくのも当然であろう。なぜ教育現場では、その改善を行おうとはしないのだろう。学校を“学問を教えるところ”に限定してしまえば良いのだ。それ以外の“生活”や“性格”や“健康”や“トラブル”に関しては、教員以外が扱うよう変えてしまえば良い。現在も“一部分”はそうなっているが、一部分ではなく、全体をそういう風にしてしまえば良い。子供だから「学習」も「生活」も重なり合っている……という捉え方は現代では無理がある。完全に分けてしまわないから、齢若くて社会経験も少ない教員が、さまざまな問題行動を起こす生徒やその父兄に翻弄されることになる。そうすると、本来、教育学習そのものは優れていたはずの教員が“精神的な病”を抱えることになりやすい。人生上の諸問題というのは、どうしても“経験知”というものが必要になる。昔は子供(生徒)だけ相手にしていればよかったから、それがなくても通用したのだが、今は“その父兄たち”の相手もしなければならない。無視すればSNS上で叩かれる。或いは、すぐ教育委員会の方に“問題提起”される。昔とは違うのだ。だから“一部分”だけではなくて、学習以外のすべての問題を「生活教員」が受け持つよう変えてしまった方が良い。そうすれば、生徒の方にも“救われる者”が出て来る。イジメとかセクハラとか引き籠もりとか、さまざまな事象に通常の教師をあてがうのは“職域”を超えている。上手く対応できなくて当然なのだ。早急に考えるべきは「生活教員」の補充である。
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