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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「年齢」を意識し「時代」を意識するのは無意味


いつの時代でも、人は齢を取る。当たり前の話だが一刻、一刻と老いていく。だから「若さを保とう」などと考えても無駄なのだ。むしろ、そういうことを考えること自体“老いて来た”証しと言えるのかもしれない。時代の変化に対しても同様で、常に「時代」は“変わりゆくもの”で、それに抗うことはできない。いつまでも「時代」に“しがみついている人”は、置き去りにされる。世の中はどんどん移り変わっていく。最近は特に、その“移り変わり”が早い。だから、これも「流行に遅れまい」などとしてはいけない。そう考えること自体が“遅れている”証なのだ。久しぶりにTV番組でタレントの壇蜜氏を視た。何年振りかだが、ずいぶん“ほっそり”とした印象を受ける。元々太っている方ではないが、一時期は“激やせ”とか“拒食症”とかが心配された。また精神や神経の面でも弱っていた時期があったようだ。この人は元々「グラビアクイーン」としてマスコミに登場した人で、その時点で既に30歳前後であった。女性の場合、30歳前後でマスコミに登場すると、そのあと、長い期間“輝き続ける”ことは難しい。特に現代のように人気の“移り変わり”が激しい時代では、立ち位置がハッキリしていないと、生き残っていくのが難しい。この人の場合、グラビアを離れたことで、とても妙な言い方だが“単なるタレント”となり、純粋な作家でもエッセイストでもなく、ましてや芸人でもコメンテーターでもパーソナリティーでもなく、どういう立ち位置と捉えらば良いのか解かりにくい。いまや“知的なコメンテーター”は沢山いるので、そういう中に加えるのも微妙になってきた。そうなると自ら「グラビアクイーン」の看板を外してしまったことが、かえって“その立ち位置”を解りにくいものにしてしまった。そのまま“脱がなくても”看板を外さなければ“元グラドル”で十分通じたのに……その点が惜しい気がする。人は、ときどき、自分に“似つかわしくない看板”を与えられた時、それを取り除こうとする。けれども、世間というのは“それ”によって“その人の個性”を受け入れてくれていることがある。自ら“その看板”を外してしまうと、もはや誰でもない“ふつうの人”としてしか見てもらえず、それは“とても寂しい風景”だったりするのだ。
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