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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「幸運」と「幸福」は、必ずしも一致しない


多くの人は“幸運な人”を“幸福な人”であるかのように勘違いしがちだ。けれども、必ずしも“幸運な人”=“幸福な人”であるとは限らない。先日、タレントの室井佑月氏が結婚後に仕事が減って、現在は家賃5万のぼろビル住まいであることを投稿し、話題となっている。政治家で元知事でもある米山隆一氏と結婚されたので“玉の輿のようなもの”と誰もが想像したが、実際には仕事が無くなって、タワマンの最上階からボロビル暮らしへと変わってしまったというのだ。ただ、室井氏はそれを嘆いたわけではなく、現在は庶民的な暮らしに変わったが、思想信条を貫いて暮らしている形で、人の評価など気にならないと強気だ。実際、タワマンに暮らしたからと言って、倖せであるとは限らない。まあ見掛けたは確かに良いが、人間の日常というのはそんなに変わるものではなく、タワマンからの景色も3か月も観れば見飽きてしまう。ただ“世間の眼”としては、マスコミに常時出ていた頃は、華やかな“成功者”として映りがちである。だから「落ちぶれた」という評価を受けるのも仕方がない、と言えば仕方がない。ただ人間というのは“平坦な人生”よりも“ジェットコースター”のような人生の方が、或る意味ではドラマチックで、そういうふうに願っても、なかなか“そういう人生”は歩めない。中国の運命学では、昔「平坦な人生」を“幸福な人生”と見立てていた。だから、そういう生まれの人を“幸運”とし、そういう人生に「どうすれば近づけられるか」ということで、運命学の仕組みを捉えていた。したがって、そういう古典的な運命学の方から学んだ人たちは「平坦な人生」悪く言うと「平凡な人生」を“幸福な先天運”として、それに近づくためのノウハウを学んだりした。さて、現代はどうだろう。正直、個々の価値観によって“幸福”の基準は変る。何が幸福な人生と言えるかは、ほんとうのところ本人にしかわからない。死ぬ間際になって「自分は幸福な人生だった」と言えるか、或るいは「幸運な人生だった」と言えるか、或いは「不幸な人生だった」と思うか、或いは「不運な人生だった」と思うか、だれにも予測できない。
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