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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「立冬の札幌」に相応しい「雪が降る」が来た


大昔のヒット曲に「雪が降る」というのがある。確かシャンソンが原曲だったはずだが、哀愁があって、とても良い曲だった。人は何となく寒くなって北国に“雪が降る”季節になると、妙に寂しくなったりする。背中を温められたい気持ちになるものだ。今年はいつもより少し遅く、昨日になって初めて札幌に雪が降った。そして季節は「立冬」を迎えた。立冬は、文字通り“冬の訪れ”を意味する“季節区分”だが、実はこの「立冬」から一年を開始していた時代がある。今から2200年以上前の中国を統一した“秦の始皇帝の時代”がそうだ。秦の始皇帝という人は、当時、世の中を席巻していた“五行相勝説”を信じていた人で、自らの王朝を「水徳の王朝である」と宣言した。そして、その“徳”を身に付けるために、すべてを“五行の水行”に合わせたのだ。そうすると、どうなったのかというと「立冬」から“一年が始まる”よう暦を変えられた。つまり旧暦なので、当時の“10月”が「正月」となった。その当時は太陰太陽暦を用いていたので、数年に一度“閏月”が生じる。そうすると、その月は「後9月」という名称でよばれて、もう一回「9月」を繰り返す。こうして、日数を調節して新年である「10月=正月」を迎えることになる。いま、われわれが使っている暦は旧暦ではないが、ちょっと中途半端な「1月=正月」からスタートしている。それを嫌って、中国では、いや中国だけでなく、中華系の国はどこでも「春節」と呼ばれる旧暦の「1月」を「正月」として暦の上での一年をスタートさせている。ここで注目すべきは「立冬」ではなく「立春」に近い“旧暦の1月”を「正月」としていることだ。つまり、彼らは、秦の始皇帝の時代を嫌い「水行の冬(立冬)」ではなく「木行の春(立春)」から、一年が始まる、と規定しているのだ。確かに、春となって一年が開始された方が何となく“開始”の雰囲気が生まれる。春の花々が咲き出して“生きとし生けるもの”が目覚める感がある。そういう意味では、ちょっと中途半端な“太陽暦の1月”を「正月」とするわれわれ“欧米式日本人”は、あの背中を温められたい「雪が降る」季節の中で、北風にさらされながら、あたらしい年を迎えていくのだ。
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