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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「美術館女子」が、なぜ悪いのか⁉


私はいつも思う。どうして「みんなと同じ」でなければいけないのだろう。どうして「同じ感覚」「同じ考え方」「同じ意識」にもっていきたがるのだろう。そうでなければ、許さない、といった雰囲気を作り上げるのだろう。いつから、日本は、或いは日本人はこんなに“狭量な民族”になってしまったのだろう。読売新聞社と美術館連絡協議会とが共同で企画したオンライン上の「美術館女子」というコーナーが、多くのネット上の批判にさらされ“公開終了”に追い込まれた。その内容は女性アイドルが東京都現代美術館を訪れた様子を撮影したもので、その解説として「若い女性は“インスタ映え”に夢中」と言ったコメントが添えられている。その種の写真が並んでいるというスタイルだ。確かに、観ようによってはネット上の批判にあるように「若い女性を“無知の象徴”として扱っている」とか「その女の子を鑑賞する人間の目線でしかない」という見方は正しいのかもしれない。ただ半強制的に“公開終了”に追い込んでしまうような内容だろうか。若い女性達の多くが、まず何よりも「インスタ映え」を意識しながら“ものを観る”ことは、今日では当たり前の光景である。それを、そのままコメントとして添えたとして、どうしてそれが「無知の象徴として扱っている」ということになるのだろう。意識過剰だからではないだろうか。現実に、美術品に対しても“インスタ映えの対象”として捉えている若い人たちが多数存在していることを、どうして無視しようとするのだろう。若い人たち全員がそうだというつもりなどなく「多くの若い女性は…」という意味合いであることは誰もが理解できる。それに「女の子を鑑賞する人間の目線…」とあるが、どうして、そういう“目線”ではいけないのか。美術館での撮影なら「作品の方を主体にすべきだ」という意味なのだろうか。それとも、若いアイドルを美術館に同行させて“撮影する”そのこと自体がセクハラだ、とでも言うのであろうか。例えば、70代と思しき厳めしい老人と、20歳前後の可愛らしい女性とが、美術館内の同じ部屋で鑑賞していたなら、その若い女性の方に視線が行くのはごく自然なことである。それを“許さない”等というのは、非人間的発想である。むしろ、そのことの方が許されるべきことではない。この展示が新聞社だけでなく、美術館連絡協議会との“共同企画”であるということは、おそらく「現代美術」というものに対して、もっと一般の人たちも気軽に足を運んでほしい、という願いが込められていたからではないか、そういった“密かな願い”をも踏みにじるネット批判を、私は許すことが出来ない。
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