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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「美談」として語られた「財布が戻った⁉」話


日本は“治安の良い国”として世界中から知られている。それは事実だ。けれども、失くした財布が3年後になって戻ったからと言って、すべての人が“心優しい人たち”などと誤解をしてもらっては困る。しかも、それはネットニュースの一つとして“美談として”語られていたのだ。それは違う。この財布を失くされた方が、日本人なのかどうかは知らない。なんとなくニュアンスとして日本に長く滞在している外国人のような気がしないでもないからだ。O氏は2021年に人通りの多い渋谷で財布を失ってしまったと記述している。落したのか、置き忘れたのか、その辺は記されていない。ともかく、その財布には現金以外にも、O氏にとって“大切なもの”がいろいろ入っていた。あの人ごみの中で失ったのだから、もう、戻って来ることはないだろうと観念していたようだ。ところが、その3年後の今年になって彼の財布は、心優しい人によって「多摩川に浮いていた」ところを見つけられ、中のカードなどから持ち主が解かって連絡が来た…というのだ。こうして、すでにボロボロになってはいたが、そして、入れてあった現金は無くなっていたが、本人にとって大切なモノやカード類は残されたままだった。その大切な財布と、再び回り逢うことが出来て、改めて「日本」を“善い国”だと思ったし「日本人」を“心優しい人たち”だと思って、それを写真付きでSNSに投稿したのだ。もちろん、そここと自体は、大変に心温まる話だ。ただ、わたしが思うに、その財布が“多摩川から拾われた”ことには深い意味がある。なぜなら、彼の財布は空を飛んで多摩川に落ちたわけではない。だれかが“多摩川に捨てた”に違いないからだ。しかも、そのまま捨てたのではなく“現金だけ抜き取って”捨てたに違いないのだ。そうすると、この財布は、果たして“置き忘れたモノ”をたまたま拾っただけなのか、それとも、さりげなく“持ち逃げしたモノ”なのか、どちらかだということになる。たまたま拾った場合、通常の日本人(⁉)なら、そのままの形で警察に届ける。おそらくその財布は中が“ぎっしり詰まっていた”可能性が高く…であればなおのこと、そのまま届ける。けれども、その財布を手にした人物は、その中を確かめ“現金だけ抜き取り”他のモノはそのまま多摩川に捨てたに違いないのだ。そうすれば、仮に“その財布”が誰かに拾われたとしても、どこで棄てられたか、どうして棄てられたのか、だれにもわからない。ただ中にカードなど入っていれば、もしかするとやがては本人に届くかもしれない。もしかすると“貴重な写真”とか“お守り”とかが“免許証”とかが入っていたのかもしれず、それらは彼にとって“お金よりも重要なモノ”だったから、戻って来たのを悦んだのかもしれない。けれども、それを川で拾った人は確かに優しい日本人だが、それを“川に棄てた人物”は単なる“ワルイ人”であって、そういう人も日本には居るのだ。
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