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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「芸術」は進歩したのか、退歩したのか、謎だ‼


最近、わたしはときどき録画して溜まっている昔の「洋画」や「邦画」を観る。洋画の方が圧倒的に多いが、たまには邦画も観る。すると必ずと言っていいほど、現代では“相応しくない表現や映像”に対しての但し書きが出る。つまり、オリジナル作品を尊重して、そのまま放映します、という文言が続く。21世紀という時代が、いかに“規制に満ちているか”痛感させられる。確かに、時としては「こんなこと言っても平気なんだ」と驚くような言葉が出て来たりする。上司が部下に言う言葉とか、夫が妻に対して言う言葉とか……。映像でも血だらけのまま取っ組み合う場面とか、薬物を回し飲みする場面とか、指を詰める場面とか……なかなかにきわどい。ただ、それらが物語のリアリティーを高めていて、妙に納得させられたりもする。もちろん、その影響力を考えると、必ずしも「だから良い」とは言い切れない部分もある。けれども、少なくとも芸術や芸能の作品においては、現代は少し“規制が強すぎる”よう感じられる。だから、或る意味では“迫真の演技”というものから遠ざかってしまうような気もするのだ。もう一つ、昔の映画を観て思うのは、これは洋画でも邦画でもそうなのだが、その時代背景としての“当時の街並み”とか“建物やその内部”とか“流行りもの”とか“国家観”とか“暮らしぶり”などが判る点がある。さまざまな点で、当然のことながら今とは違っている。洋画などでは“人種差別”なども平然と示されるし、いまとは異なる“国としての敵・味方”なども解る。特に“戦争”そのものをしているとき、その前後の時、完全に平和な時代の時……これほど映画には時代が反映されるのか、と驚く。その当時の経済的な状況も映画には反映されやすい。日本の60年代など、大都会と地方とでの地域差も判然としている。自分自身は、そういう時代を生きて来たのだな…と思うのだが、なぜか実感はない。自分とは無関係な“大昔の出来事”のような感覚を持ってしまうのは何故だろう。その一方では胸が締め付けられるほどの“なつかしさ”を感じてしまうこともある。大昔の一般家庭のトイレなど、そういえばそうだった……と改めて想い出すのだが、どういうわけか自分自身の記憶というよりも、それこそ“映像の記録”のような気がして、もしかすると、無意識ながら“嫌な過去の記憶”は消してしまっているのかもしれない。
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