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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「芸術環境」を破壊している「環境保護団体」


最近、この種の事件が多い。14日のロンドンでゴッホの名画「ひまわり」に対して“トマトスープ”を投げつけた青年たちだ。青年たちと言っても、おそらくまだ10代半ばであろう。環境保護団体のTシャツを着て、名画にトマトスープを投げつけたのち、座り込み「芸術と生活、どちらに価値があるのか」などと動画上で訴えた。二人組は、そのすぐ後、警察に逮捕された。一応、英国政府の石油やガスなどエネルギー政策に対しての抗議というのが動機のようだ。だが、どうみても10代前半か半ばにしか見えない二人が、いきなり学生服を脱いでトマトスープを取り出すところから動画が始まっている。明らかに環境保護団体の誰かがシナリオを描いて、それに沿っての若者たちの行動だ。動画そのものは全世界に伝わったが、その主張するところは支離滅裂である。もし「環境保護」をほんとうに訴えたいのであれば、芸術環境を“破壊する行為”など許されるわけがない。ゴッホ「ひまわり」の名画はガラスの額縁だったので、直接の損傷を免れた。もし、これが剥き出しの画面だったら莫大な損害になる。いや修復そのものが不可能になるかもしれない。最近の環境保護団体には、このようなギリギリの“危ない行為”が目立つ。そういう形にしなければ、世界に訴えられない、とでも考えているようだ。とんでもない誤りだ。かえって“意味不明の事件”を起こすことで、世間的な信頼を失い、その主張への賛同者が減る。それに“芸術”と“暮らし”を天秤にかけようとすること自体、考え方としておかしい。それは、もしかすると「経済的なゆとりの中で芸術が育まれる」と考えているからかもしれないが、その考え自体が間違っている。どんなに経済的に窮地にあっても、芸術を志向する人は芸術を志向する。むしろ、われわれの環境を“心豊かにする”ためにも芸術は必要なのだ。環境保護団体が自ら“環境を破壊して”どうして、自分たちの主張が正しいなどといえるだろうか。年齢的に時として“若すぎる”人たちを、自分たちの主張の“実行部隊”として取り込んでいるような気がして、それも問題がある。あまりにも“幼い年齢”の時から、まだ“自分”というものが確立されていない段階から思想・主義の活動に参加させること自体が危険でもある。幼い頃に“叩き込まれた思想”というのは、なかなか抜けないからだ。どのような主張であれ一応“法律”は守るべきだ。
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