「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「該当作なし」は出版界が「正常」に戻った証拠


文学賞として権威ある「芥川賞」と「直木賞」の選考会が行われ、今回は双方の賞共に「受賞該当作なし」と決まった。それぞれの賞に対する選考会は、午後4時から同時に始まったが、芥川賞の方がそれから約2時間後に「受賞作なし」と発表され、さらにそれから約2時間後に直木賞の方も「受賞作なし」と発表された。両賞とも該当作品がなかったのは27年ぶりであるという。近年は、どちらかの賞で“2作同時受賞”などもあったから、そういう意味では「収穫の乏しい年」ということになった。芥川賞にしろ、直木賞にしろ、受賞作が出れば、それは確実に“売上アップ”に繋がり、時としてはベストセラーに変ることもある。したがって、本来であれば、出版業界としては「受賞作を出したい」気持ちを持っているはずで、それを意識しながらの選考で「なし」とするのには審査員作家たちの“勇気”が必要だったに違いない。もっとも、伝統ある両賞に対して“いま一つな作品”を世に出すことはできない。そういう意識の方が強かったということだろう。単なる商業主義に陥らない作家(審査員)たちの“気概の高さ”が感じられた発表式だった。もっとも、この両賞の発表に関しては、各マスコミが相当数集まる。そして、その受賞者たちの写真掲載やインタビュー掲載を誌面上で予定している。つまり“その枠”をあらかじめ用意して記者たちは集まっている。だから、新聞や雑誌では、その“予定枠”を何かで埋めなければならない。雑誌は時間があるから良いが、新聞紙面は午後8時時を過ぎて「なし」と判ったのでは遅すぎたのではないだろうか。スポーツ紙の“芸能文化面”などは、例年、ほぼ一面を使って受賞者たちの写真、履歴、作品紹介、一問一答、そして審査コメントなどを入れる。それらが無くなった分を何かで急きょ埋めなければならない。通常、受賞作の発表まで早ければ一時間、遅くても三時間くらいなのだから、昨日の直木賞選考の4時間は大変な長時間と言える。それだけ「各作品が拮抗していた」ということなのかもしれない。ただ、どれか一つを推すのは“適切ではない”という結論だったのだろう。わたしはそれよりも、文学界というか、出版業界というか、そういう世界が一時期と比べて、正常に戻りつつある証拠だと思う。一時期は、表現が適切かどうか疑問だが「なにがなんでも受賞作を出さねば…」的な雰囲気が感じられた。つまり、そういうことをしなければ「本が売れない」時代があった。たぶん、ここに来て少しは“本来の姿”に復帰し始めているような気がする。どんなにネットが普及しても、活字好きな人はいる。書店で「本を読む姿」「本を探す姿」は無くなってしまうことはないのだ。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言