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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「過去の罪」を人はどこまで“背負うべき”か


数年前「チャラ男芸人」としてブレイクした兼近大樹氏が窮地に立っている。フィリピンで捕まった“連続強盗事件の首謀者”として日本に強制送還されることになった渡辺優樹容疑者と十年以上前“仲間的な知り合い”だったからだ。本人は“今回の事件”に関しては「まったく関係がない」と断言し、そのこと自体はほとんどの人が疑ってはいない。問題は、そういう人物と十数年前とは言え“仲間的な行動”をとっていたことにある。兼近氏本人は、そのことを認めたうえで「過去は過去なのでどうしようもない」という“割り切り方”をしている。決して彼は「自分は関係ない」と言っているわけではなく、過去の罪は“今とこれからの生き方”で贖罪していくしかない、という立場をとっている。実際、その通りで、人間誰でも“消したい過去”はあるものだが、消し去ることは出来ず、死ぬまで自らが“背負っていく”しかないのが現実なのだ。それはそうなのだが、世間というか、世の中というか、それが“刑事事件的な犯罪”になると、彼自身が割り切るほどには、簡単に割り切ってはくれない。そういう犯罪や社会的な事件・問題に巻き込まれたことよって、多くの人たちが、その社会的な地位を失い、職業を失い、財産を失い、家族を失い、その後は煩悶の人生を送っている。実際“ただ一度の過ち”から人生の階段を踏み外していく人は多い。特に、日本人はそれほど“寛容な人種”とは言い難いし、時代的にも、現代は高度成長期ほど“寛容な時代”ではない。少なくとも、今回の一連の事件が“一応の決着”が付くまでは、兼近氏は“公の場”から姿を消す可能性が強い。人はだれでも間違いを犯すが、それを「許す」ことが出来るのは一体誰なのだろう。仮に刑事事件で裁判となって“刑期”を与えられ、その刑期を終えたなら、そこで“許しを得た”ことになるのだろうか。世の中は、なかなか“そういう過去を持つ人”を簡単には許さない。兼近氏の“考え方”からすれば、一人でも多くの人たちに“笑い”を与え“楽しませる”ことで、贖罪していこうとするだろう。どのような環境からでも“這い上がれる”ことを証明しようとするだろう。いまの「日本」という社会は、それを受け入れてくれるだろうか。多くの有名人が“その壁”に突き当たって苦悩した。彼が自らの“生き方”を証明できるかどうかは、この騒動が収まってからにある。
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