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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「開拓者」になるか「先導者」に就いていくか


人間の“生き方”には、大きく分けて「開拓者」として自らが“その道を拓いて行く”生き方と、信頼できる「先導者」が先に居て“その道に従って就いて行く”生き方とがある。比率的に言えば圧倒的に後者の“生き方”を択ぶ場合が多く、その方が間違いも少ない。ところが、その“後者の生き方”を択んだはずなのに、いつの間にか“先導者が消えていってしまう”人生がある。たとえば「三遊亭円楽」という先導者が居て、その後を歩んでいこうと決めていたのに亡くなってしまう。三遊亭らっきー氏(31歳)はそういう運命に見舞われた。ほとんどの人は知らない“二つ目の無名落語家”である。彼は最初に就いていた仕事をなげうって、弟子入りしたほどの“円楽ひとすじ”の人物だった。自ら「落語が好きだったのではない、円楽という師匠に惚れて就いて行こうとしていただけに過ぎない」と言う。そのひたむきさは、昨年9月に師匠が亡くなって、その後、悩み続けた日々に現れている。自らが“就いて行くべき人”を失ったことで、どうして良いかわからなくなったのだ。そして、とうとう今年に入って1月1日に「廃業報告」という形で、自らが落語の世界から身を引き、家業である木工店で“ゼロから職人として修業し直す”人生を択ぶと宣言した。こういう“生き方”もあると改めて思った。もちろん落語界の先輩たちは無数にいて、おそらく彼自身が属した“円楽一門の先輩たち”からも、身の振り方の助言があったに違いない。けれども彼は「円楽師匠に惚れた」のだ。それ以外の道を歩むことは、彼自身の魂が許せなかったのだろう。或る種“潔い生き方”であることは間違いがない。彼は人生において“職業”を択んだのではなく“人”を択んだのだ。私の場合、十代半ばから「英国のキロ」と「日本の中村文聰」の二人を“自分の目標”と定めていた。ところが、ふたりとも、わたしは直接に逢っていないのだ。中村文聰氏からは手紙を頂いたことはあるが、その後すぐ亡くなってしまったので、逢うことはなかった。結局、わたしはだれも頼ることが出来なかったので、自らが「開拓者」となるしか方法がなかった。私の占いを「波木流」などと言う人がいるが、私自身が名付けたものではない。わたしは“頼るべき人”を持たなかったため、世の中に出るのも遅れたし、だれからも直接教わっていないが、そのかわりに“独自の世界”を開拓していくことが出来た。どっちが良いのかは、そう簡単に言えることではない。ただ道なき道を歩みだすのは勇気がいるし、傷だらけになる覚悟もいる。だから、どの世界でも“傷つくのが怖い人”には奨められない。
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