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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


「99%助からない」からの奇跡の復活


人はときどき「奇跡」に賭ける。その奇跡は、ほとんどの場合“生じない”で終わる。けれども、稀に、その奇跡が実現することがある。あきらめかけた時に実現することがある。鈴木順子氏の母親の場合もそうだった。娘は2005年4月25日に起きた尼崎JR脱線事故で、へし折れた2両目の車両に乗車していたが、意識不明の状態で救出された。その時、医師から告げられたのが「99%助からないと思います」という言葉だった。その後で、一応、それでも治療を続けるかどうかを選択を迫られた。「娘はまだ生きている」とても投げ出すことなど出来なかった。母親の意志で治療は継続されたが、意識の戻らないまま一か月が経過した。「植物人間」状態のまま治療費だけがかさんでいった。それでも、母親は「奇跡」に賭けていた。そして、その願いが通じたかのように、間もなく、娘は目を覚ました。けれども、目を覚ましたのだが、呼びかけても反応はなかった。そのまま4カ月が経過した。毎日、母親は呼びかけを続けた。その結果、5カ月目になって言葉を発するようになった。日に日に、こちらからの呼びかけに、ハッキリ応えられるようになっていった。こうして、入院から11カ月後になって、めでたく退院することが出来た。但し、身体は下半身不随で全身にマヒが残り、車椅子姿だった。それでも、母娘は、あきらめなかった。事故当時30歳だった順子氏はさまざまなリハビリを懸命に続けた。こうして昨日で15年が経った。現在、鈴木順子氏は45歳になっていた。マヒを克服して、書道や“ちぎり絵”の製作に余念がない。“ちぎり絵”はマヒのリハビリを兼ねているのだが、元々デザインを学んでいた彼女には、そういう分野にはセンスと素質があった。だからリハビリのためというよりも、自己表現の場になった。創作活動の場になった。“ちぎり絵”の中で、自分というものを表していきたい、自分の“生きている証”を表現していきたい。そういう気持ちが強くなった。人の助けを借りれば、歩くことだって出来るようになった。あの事故ですべてを失ったが、少しだけ神様は優しくて、“ちぎり絵”の悦びを与えてくれたのだった。
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