「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


あまりに「若くして成功」を得ることの「代償」


「松本人志」「中居正広」「国分太一」……最近は次々と大物芸能人の“ハラスメント行為”が発覚し、芸能界から締め出されつつある。いずれも若い時から一世風靡した人たちだ。つまり、あまり苦労することなく第一線へと駆け上がり、その後のTV社会で「スター」として長い間、持ち上げられてきた人たちだ。わたしは前から思っているのだが、どのような世界でも、あまりに若くしてトップクラスに上り詰め、人気や栄誉や財産を得ていくのは、必ずしも“良いこと”とは言えないような気がする。なぜなら普通の人たちが経験する挫折や苦悩や忍耐を知らずに過ごして来るからだ。人は自らが挫折したり、苦悩したり、忍耐したりすることで、自分以外の人たちに対して優しく振舞える。意識的に優しくするのではなく、本能的に“思いやりを持って”接していくことが出来る。それは、経験的にというか、体験的にというか、相手の気持ちが理解できるからである。だれでも経験のないことは、理解が難しい。十代半ばから、時には十代前半から、アイドルのような形で社会に出てしまうと、世の中の「光」の部分のみに包まれ「影」の部分を知らずに成長する。輝かしい栄光を背負って生きていくことは悪いことではないのだが、まだ“精神世界”が十分に確立されていない十代半ばから何もかも得てしまうと、他人への配慮とか、思い遣りとか、気遣いとか……そういうものが、どうしても育たないのだ。その結果、思うようにならないと、その捌け口を周りにぶつけるようなことが多くなる。昭和のような「スターは王様」で居られた時代は罪にならないことでも、令和の時代となって「誰もが横一線」のような考え方が浸透していくと、昔なら“通用したこと”が通用しなくなってくる。それだけに、過去のハラスメント行為が「罪」な行為として、あからさまにされるようになる。たぶん、彼らは、あまりにも若くして「スター」の椅子に座り過ぎたのだ。他人の“痛み”や“傷つき”を理解できないわけではない。けれども昭和の時には“許されていた行為”が、なぜ許されなくなったのか、戸惑うばかりなのだ。これは、彼らだけでなく“昭和の良き時代”を生きてきたわれわれの誰もが、感じてはいる。ただ、われわれは多少の苦労を知っているので、周りの空気を読んで“ギリギリの現代対応”をしている。あまり苦労することなく、十代から「スター」として輝いた彼らは「誰もが横一線」を……未だ理解が難しいのだ。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言