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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


いつまで続く「ダイニングテーブル」の食事


現代の日本の家庭の多くは“西洋式”である。つまり、ダイニングテーブルというものを備えている。果たしてダイニングテーブルで飲食だけをしているかどうかは疑問だが、一応、そこが“食卓”となっているのが“本来の姿”であることは間違いがないだろう。ところが、昔の日本の家庭では床に座ったカタチで食事をすることが多かった。いまでも“そういうカタチ”で飲食をする家庭は少なからずあるに違いない。和室には座卓が置かれて“それ”がメインのテーブルだった。わたしもそういう家庭で育ったが、いつの間にか“椅子に座って食事をする”のが当たり前へと変わった。時は流れて、この家に引っ越して来るまで我が家はソファー用のセンターテーブルで食事をするのが常になっていた。どうも、最初は違ったような気がするのだが、いつからか“そういう風に”切り替わっていた。一つには本来のダイニングテーブルの方にパソコンが2台“向き合うカタチ”で置かれ、そこで仕事などもする時期があったせいだと思われる。ソファー用のセンターテーブルが大きく楕円形で“食卓用”として使いやすかったせいでもある。イタリア製のセンターテーブルなので、日本の食卓テーブルと比べると少しだけ高さがある。それでも慣れると、この方が使いやすかった。とにかく16年間の内で、本来のダイニングテーブルを食卓として使った期間は短く、せっかく“見晴らしの良い”テーブル席は仕事用に座る機会の方が多くなっていった。ところが、こちらに越して来てから、なぜかダイニングテーブルで食事をする日々が続いている。一つには、越してきた当初にはセンターテーブルが使えなかったからだ。大理石のテーブルは運ばれてくる途中で破損し、その結果新たなテーブルと交換となった。その輸送に一週間を要したので、結果的に最初からは使用できなかった。そのせいで嫌でも本来のダイニングテーブルを使わなければならなくなった。こちらも大理石で大きいが、センターテーブルと比べて自然な大理石としての趣きがある。センターテーブルの方は美しいが加工されているからだ。どちらも石としては分厚く、センターテーブルの方は5㎝ほど、ダイニングテーブルの方は3㎝ほどある。奇妙なもので、予期せぬ事情から始まったダイニングテーブルでの食事だが、キッチンに近いこともあって、このまま続いていきそうでちょっと怖い。
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