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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


すぐ手の届くところに「新たな倖せ」がある⁉


最終的に「どの人生を択ぶ」のかは本人が決める。一見、そうではないように見えても、最終的には本人が決めている。例えば周囲から“勧められたから”というような場合でも、本人がそれに応じて行動しなければ“その方向”には進まない。よく結婚でも仕事でも「親に決められた」などという人がいるが、それに反発した行動をとらなかったのは本人だ。そういう意味で、人生の選択権は最終的に本人にある。パティシエとして著名な鎧塚俊彦氏が昨日、2015年に亡くなられた妻・川島なお美氏の父親が97歳で死去したことを報告している。つまり、彼にとっては義父だが、義母も昨年11月に亡くなっている。つまり、川島家はなお美氏と、その母と父親と三人とも亡くなられた、ということになる。そうして、鎧塚氏は三人の冥福を祈り、感謝の気持ちを表している。さらに「わたしはもう少し遅れてまいります」という表現で、自分ももう少し経ったら後に続くから……というようなことを記している。この部分に、私の“運命学的なアンテナ”が強く反応した。確かに、これは一見“素晴らしい発言”のようにも聴こえる。けれども、運命学的な観点から言えば、この考えは危険なのだ。なぜなら、この発言を真意として受け止めると、彼は自分の“残りの人生”を「川島家」の人たちと共に生きていく、と宣言したことになる。そこには“自分そのもの”は存在しないのだ。或る意味では「鎧塚俊彦」という人物は居なくて「川島なお美の夫」という魂だけが存在している、と宣言したことになる。「耳なし芳一」の物語ではないが、そうしてしまうと、もはや「鎧塚俊彦」という肉体をまとった“川島なお美の夫”だけが“この世”に生きている、ということになる。彼が70才くらいであれば、そう思うのも仕方がないが、彼はまだ56歳なのだ。男性としては“これから”という年齢ではないか。亡くなった妻と、そのご両親を看取ったのだから、或る意味では「川島家」から卒業させてもらったのだ。今後は本当の意味での「鎧塚俊彦」としての人生を歩むべきだ。もちろん、良い女性が居たなら、再婚もすべきなのだ。そういう風な意識で生きないと「早めの迎」が来てしまう。私は、それが心配なのだ。現に、義父は義母が亡くなって、ちょうど半年後に亡くなっている。おそらく、鎧塚氏の場合、気持ちさえ入れ替えれば、すぐ近くに「新たな倖せ」が潜んでいそうな気がする。どっちを選ぶかは、無意識ではあるかもしれないが最終的に本人が決めている……。
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