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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


すべてを「平等に扱う」裁判は「正しいのか」


わたしは以前から、人間をすべて“平等”に扱おうとすること自体に対して疑問を持っている。近年はコンプライアンスの浸透から「平等でなければならない」という考えがはびこっているが、ほんとうの意味での平等など、土台がありえない。「裁判」は、その“平等”という部分が強く反映されがちな制度だ。4年前、福岡市の商業施設で起こった殺人事件に対しての“損害賠償請求”に対する裁判の第1回弁論が昨日行われた。この事件は、当時「少年院」から仮退院となり、更生保護施設で社会復帰の教育を受けていた15歳の少年が、そこを脱走して昼間の商業施設内で起こした事件で、刃物によって見ず知らずの21歳の女性を殺害した事件だ。被害者の母親が「娘を返して欲しい」と涙ながらに訴えたのだが、加害者自身は当時まだ15歳であり、その保護者である母親も「ずっと少年院に居て、その後も保護施設に居て、そこを抜け出しての犯行なのだから、自分には保護監督の責任はない」と主張している。確かに、長い期間、自分の手元を離れていたわけで、その離れている期間中の出来事でもあり、或る意味では“その間の責任者”は更生保護施設の関係者と言えないこともない。そうなると、この損害賠償請求では7820万円が請求額なのだが、実際問題として、加害者本人は解りやすく言えば“刑務所暮らし”でまともと働いたこともなく、父親も存在せず、母親も拒否姿勢なら、どこにも請求のしようがない。そして一番の問題は、事件を引き起こした被告である加害者が、当時15歳だったこともあり、刑法上は10年以上15年以内の判決が決っていて、もし、この裁判で被害者遺族の主張が通ったとしても、実際に「賠償金」が得られる可能性は極めて低い。さらに、この加害者は被害者家族に対して、一度も謝罪していない。現在は「心情など伝達制度」というものがあって、被害者遺族は、受刑者に対して弁護士立ち合いの元、直接質問することが出来る。被害者の母親は「娘を刺した時、どんな気がしましたか?」と受刑者に訊いている。それに対して少年が答えたのは「人はあっけなく死んでしまうんですわ」という回答だった。訊く相手を間違えたというか、土台が“反省の色”などまったくないのだ。この受刑者の場合、子供の頃からの犯罪で“少年院送り”になっている。まともな子供時代を送っていないのだ。それでも裁判は公平に行われなけれんばならない。果たして人はだれでも“平等”に扱うべきものなのであろうか。
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