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今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


なぜか「年末年始が迫ってくる」というのに……


いつも、この季節になると、周辺の人達はそわそわと忙しそうにし始める。そうすると「年末が来たんだなぁ」と、いつも思う。わたしは年末年始に“体調を崩す”ことが多いので、それだけは用心しなければならないが、それ以外に関しては別に“何も変わるところ”が無い。今年は個人的な事情から“年賀状を書かない”ので、そういう意味でも別に“忙しい想い”をすることはない。たぶん、もう少し経つと“大きな買い物”をすることにはなるが、それだって別に慎重に選ぶわけでもなく、なんとなく、その時の状態というか、気分というか、雰囲気というか、まあ“何となく買っていく”ような気がする。わたしは昔からそうだが、自分の人生を「こうしなければ…」とか「ああしなければ…」とか、あまり深く考えたことがない。だから、特別、後悔もしたことがない。たぶん、人生上で後悔の多い人というのは、考えすぎる人、迷いすぎる人…なのだ。特に迷うこともなく、深く考えることも無ければ、人生というのは“まあまあのところ”なのだ。よく、次の製品はこんなに早い、とか言って宣伝するが、別に「そんなに早くなくても…」と思ってしまう。「急げば廻れ」という言葉があるが、急ぎすぎたり、焦り過ぎたりすると、だいたいはろくなことがない。年末になると「宝くじ」売り場がにぎわう。でも、どうしてみんな“並んで”買うのか。空いている日とか、空いている売り場で買えばよいのに、なぜか、同じ日、同じ場所に並びたがる人達がいる。わたしには、ああいう人達の気持ちがわからない。パチンコ屋の開店時なら、並ぶというのも解らないではないが、それとて友人の付き合いで一度だけ並んだが、その時には負けた。ギャンブル系のものは、意識しすぎた時は大体が上手くゆかない。無意識に…というか、あまり深く考えず、なんとなく衝動的に選んだり買ったりしたときの方が勝利する。人生上の大きな決断とか、買い物とかでも、基本は同じで、あまり深く考えたり択んだりしても上手くゆかないので、最終的には「神様に択ばせよう」的な考えが、わたしのどこかにある。と言っても、わたしは特に何かの宗教とか信仰とかを持っているわけでもない。年末年始が、特別な意味を持つこともなく、毎年“同じ間隔”でやって来るように、ごく自然な意識と感覚で、その時の状況に合わせて、或いは気分に合わせて、年末年始を迎えたいだけだ。大きな買い物は、今回も面倒なので“神様”に択んでもらう……というより択ばせた方が、わたしの場合は後悔せずに済む。
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