「single-blog.php」* 有料カテゴリ:「今日の迷信・余言・禁言」は月額1,200円で読むことが出来ます。// ざっくりとは終了 // Header画像を変更する事

今日の迷言・余言・禁言

未来と運命に対するヒントがいっぱい


もはや「吉凶」には関係のない「無意識の習慣」


人間、或る程度の年齢になると、毎年、その時期が自分にとって“良い時期”であるか“悪い時期”であるか、なんとなく感じるものだ。年末年始というのは、特に、その傾向がある。わたしの場合には、年末年始になると“体調を崩す”ことが多いので、近年は極力そうならないよう用心してかかる。何しろ、年末年始は医療系統が休んでいる。緊急のところは開いているが、必ず、超満員だ。よくも、あんなにたくさん並んでいるのに、待とう…という気になるものだと感心する。まあ普段、会社勤めをしている方達にすれば、その時ぐらいしか時間を掛けてでも診てもらうことができない…という事情もあるのだろう。とにかく、どこも超満員になる。無意識の習慣で、いつも行っていた“年賀状を出す”行為も、今年は個人的事情も手伝って“出さない年”となる。それだけでもずいぶん“気楽”だ。実は、毎年、元旦に“個人的に行う習慣”がある。五百円玉、百円玉、五十円玉、十円玉など相当数の硬貨を洗面器に入れて、その硬貨で元旦の“日の出時刻”に「硬貨で顔面を洗う」行為を、もう十年以上になるか……ずっと続けている。ずっと続けていると、いつの間にか習慣のようになって、なんとなく“行わないと”気持ちが悪い。元々は、その年一年間「お金まみれの生活ができますように…」という“おまじない”的発想の呪術から来ている行為だ。だから、最初の頃はほんとうに真剣に“それ”を行っていたのだが、いつの間にか習慣となって、習慣となると、もう当初の“真剣さ”はそんなに無くて、でも“それ”をやらないと、なんとなくその年は“お金の神様”から嫌われそうで、どうしてもやってしまう。ただ自宅で新年を迎える時はそれで良いのだが、今年のように自宅ではないところで新年を迎える時には、それを行うことはなかなかに難しい。とは言っても、なんとなく行わないと“金運の神様”が離れていきそうで、いや「もう、とっくに離れているかも…」と思う部分もあるが、それでも、習慣とは恐ろしいもので、もう吉凶などどうでもいいのだが、なんとなく行わないと“気分的に良くない”から、たぶん、重くなるので“相当数の硬貨”は持っていけないが、それでも、少しは持っていって行なおうか、それとも完全に忘れて「だから、今年は金運良くなかった」と自分で言い逃れを作るか、迷っている……。
「ex-module-past-post-list-01.php」出力:single-post用の過去記事ループ処理

過去の記事一覧今日の迷言・余言・禁言